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2005年11月30日

仕事場

今日は少し仕事場の整理をした。
最近、ブログランキングに登録したことで、初めて訪れる方が増えたのではないかと(勝手に思っている)いうことで、仕事場の一部を紹介したいと思う。ここに以前から遊びに来てくださってる方は、僕がネタに困ると仕事場の紹介をすることをよくご存じのはず。はい、そういうことです。
仕事場の一角に学生時代からの作品をまとめてある場所がある。2mを超える作品も多く、けっこうなスペースを占めている。棚などを工夫して、効率よく整理したいのだけど手つかずのままだ。ただ置いておくだけでも埃がたまったり、自重でずれてきたりするので少し収め直してみた。これが意外と上手くいって気持ちがよい。午前中は片づけと掃除。
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立てかけてあるパネルが全て作品。そろそろ収納を工夫しないと、これ以外にもまだある。(しかも年々増える)
描いた側から売れていってほしいものである。僕は描いてしまった作品にはほとんど執着がなく、どんどん手放したいと思っている。もちろんタダで配るわけにはいかないのだけど。
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愛用のアラジンストーブ。そろそろお世話になる季節になってきた。アンティークではなく、学生時代に新品で買った物なのだけど、すでに15年近く使っている。芯さえ変えれば、新品の時と変わらない性能で使い続けることができる。見た目はボロだけどまだまだ現役。
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最近のコメントで友人から「本」の話題が出たので、ひさしぶりに本棚を。書籍、順調に増えています。
友人は本の上に、別の物を乗せることに抵抗があるという。僕はまったく抵抗がなく、積み上げた書籍の上に頭骨乗せたり、絵の具のチューブを放置したりしている。一方、彼は本を跨ぐことには抵抗がないというのだが、僕には絶対にこれはできない。本好きといえども、いろいろである。
皆さんはいかがですか?
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投稿者 corvo : 23:01

僕が受けた美術教育3

このタイトル、前回で終わりにしようと思ったのだけど、「大学のはなしを」というリクエストが多かったので、もう少し書いてみることにする。
そこで、まずは芸大受験について。
僕は大学受験を二度経験している。幸い一浪で合格出来たので二度なのだけど、文字通り二度しか受験をしたことがない。美術系大学は首都圏にいくつかの私立大学もあり、通常は複数の大学を受験する。しかし、そのためには受験料や合格したときに支払う入学金など、多額の費用が必要となってしまう。さらに私立の美大は、ものすごく授業料が高い。支払っていくには家庭がある程度裕福か、相当のバイトをしながらでないとやっていけない。
最初から志望校は芸大以外に考えていなかったので、それ以外の大学は一切受験しないということを決めていた。
親にも心配されたが(私大に通う授業料のほうがもっと心配かけるはずである)、受験料を出してくれる余裕があるなら画材代に全部回してくれとお願いした記憶がある。(これは浪人の時)
別に自信があったわけでなく、行きたいと思う大学以外に行きたくなかったという、単純な理由からである。
僕は絵画科油画専攻を受けたのだけど、定員60人のところへ2000人を超える受験生が集まる。芸大自体全学生を合わせても2000人ぐらいだと思うので、受験日は異常な人口密度になる。
現役の時は、完全にこの雰囲気に飲み込まれてしまった。受験をするという、覚悟がまったく足りなかったのだ。精神的に浮き足立ってしまっては、経験を積んできた浪人生に敵うわけがない。もっともその前に自分に負けてしまっているのであるが。
あえなく実技一次試験で不合格である。
僕の時の受験内容を簡単に説明すると、1月に共通一次試験。国語とプラス一教科でいいという、お馬鹿さんいらっしゃいと言わんばかりの楽さ加減である。次は実技試験だけである。まずデッサンの試験、素描1、素描2の2点を制作しなくてはならない。初日に素描1(4時間)、二日目と三日目に素描2(8時間)を行う。課題は毎年まちまち、担当教官によってがらりと傾向が変わる。
この実技一次試験に合格すると(ここで2000人が300人ぐらいになる)、実技二次試験で油彩を描くことになる。これは二日間(10時間)で一枚を仕上げる。これまた課題は毎年まちまち。
僕が受験生だったときの油(絵画科油画専攻の略)というのは、素材はなんでもありの野放し状態という時代であった。
素描はモノクロであればなんでもよし。ただし紙は支給された木炭紙を使用する。
油彩ともなると、油彩の画材だけでなく、アクリル絵の具、コラージュのための写真や色紙、果ては焦げ色を付けるための「ガスバーナー」なんていう飛び道具まで出現する(これは素描の試験だったかな)。当然、試験官からは注意が入る。(隙を狙って使っていたような・・・)
こんな調子なので受験のための荷物が膨大な量になる。段ボールに満載した画材を、おばちゃんの買い物御用達キャリアーにゴムバンドで縛り上げて、家と試験場を往復するのである。電車のなかで出会えば、臭いは汚いは殺気立ってるはで、まったく困った集団である。二度と経験したくないものである。
試験日の3月というと、まだ寒い時期である。試験場は暖房と受験の熱気で、かなり暑くなっている。試験場となる絵画棟は8階建てのビルで、試験当日はエレベーターの使用は禁止である。先ほど書いたくそ重たい荷物を、全て自力で運び上げなくていけない。低層階が試験場の受験生は多少ラッキーではあるが、あまり関係ないだろう。男性も女性も同じ経験をしなくてはならないので、自然と女性はたくましくなる。
僕が受験生の時は違ったのだけど、課題がヌードモデルだったいすると、室内の気温はさらに上がる。モデルが寒くない温度に設定しなくってはならないからだ。これが油彩の試験だと凄いことになる。テレピンなど揮発性の高い油を使用するため、室内にはものすごい臭いが充満するが、室温を下げないためにも、換気を最低限にとどめなくてはいけない。
そんな状況でも受験生は神経張りつめているので、もういけいけどんどん。一番最初にまいってしまうのが、モデルである。必ず何名か倒れてしまう。そうするとモデルを補充しなくてはいけなくなるのだけど、一部屋二部屋だけモデルが代わることは公正ではないということで、全ての部屋のモデルをスライドと補充で入れ替えてしまうので、午前と午後でモデルが代わってしまったり、一日目と二日目で代わってしまうこともある。
まったく体型の違うモデルになってしまうこともあり、受験生には柔軟な対応力が要求される。
僕が受験生だったときは、こういった感じであった。

たまたま僕が入学したのは平成元年だったのだけど、入学願書は64年度生ということになっていた。昭和天皇崩御により年号がかわっため、試験当日は元年度生のための受験となっていた。ちょうどこの時期、手塚治虫が亡くなったこともあり、非常に印象に残っている冬だった。
大学で一番楽しんだのはオペラの舞台美術であった。芸大は美術学部と音楽学部からなる大学である。僕が入学したとき、ちょうど「東京芸大オペラプロジェクト」が発足し、有志を募っていたのである。
卒業までに関わった演目は「ラ・ボエーム」「ポーギー&ベス」「コシ・ファン・トゥッテ」「蝶々夫人」「ドン・ジョバンニ」である。
こんなことをしていると、自然とそれ以外がおろそかになっていくのだけど、僕の場合は学科の成績の酷さに表れたかもしれない。ぎりぎり単位を落とさないところまでさぼり、ぎりぎりの成績で単位をとる。不真面目な学生であった。
学校にはよく泊まっていた。学内にシャワーの設備もあるので、洗面道具と着替えさえあれば、わりと快適に生活することができる。夜中でも食事できる店も周囲に多く、食事を済ませたあと塀を乗り越えて学校に帰るという生活が日常であった。特筆すべきことはこんなところである。また気が向いたら少し書くかも。

このころは恐竜にも古生物にも、まったく興味がなかった。僕が恐竜や古生物と出会うのは1996年。
上野にいながら、ほとんど国立科学博物館に行かない人間だったのである。
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投稿者 corvo : 00:33

2005年11月29日

クロコダイル skull 04

クロコダイルのskull、一応完成である。ひょっとしたらもう少し手を入れるかもしれない。
僕の場合いつものことなのだけど、頭骨などを描くときは標本画として描いていない。あくまでもモチーフの一つとして、対象に向かっていっている。そう、標本画として見た場合は、かなり不正確な描写なのである。
きちんと正確に描くためには各パーツの計測が必要であるし、視点を一点に定めて描かなくてはならない。
ところが僕の描き方は、計測もしなければ視点も一定ではない。特に視点は大きく動くため、キュビズムの手法で描いていると言っても過言ではない。どうしても立体として把握しようとすると、色々な角度、ずれた視点から観察する必要に迫られる。
また、今回のように制作期間が何日かにまたがっている場合は、その日その日で視点にズレが生じてしまうことになる。もっとも標本を正確に描くことを目的としていないので、これで良いと考えている。
描くことは快楽のひとつである。見る、認識する、描く、この3つを繰り返し、イメージが画面に定着されていく過程は、ぞくぞくする。最後に筆(鉛筆)を置くときには、一抹の寂しさを感じる。
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これがモチーフのクロコダイルの頭骨。あまり大きくない。目線に合わせるため、本を積み上げて高い位置にセットしている。
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完成したデッサン。素材はアルシュ紙極細目に鉛筆(HB、B、F)。290x380mm。
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歯の周りのディテール。
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目の周りのディテール。
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制作現場風景。机の上に転がっている鉛筆は、先が丸くなってしまった鉛筆。1時間ほどの制作でも、鉛筆をこれぐらい消費することになる。大量の鉛筆を常に削っておく必要がある理由が、分かってもらえると思う。
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投稿者 corvo : 12:42

2005年11月27日

僕が受けた美術教育2

昨日の続きである。
補足になるのだけど、僕が行っていた高校は県立の進学校で美術科はなかった。前回紹介した活動は、全て課外活動として行っていたものである。デッサンは朝授業前、昼休み、放課後と毎日描いていた。
美術部にはもう一つ大きな行事があり、それは毎年夏に行く合宿である。僕が育ったところは自然が豊かなところで、県内の漁村へスケッチ旅行に行くことが恒例となっていた。しかし、この合宿ががまたハードである。ほとんど体育会系の合宿と変わらないのではないかと思うほど。
この旅行にもOB、OGが積極的に参加してくれていた。展覧会の時以上に長い時間を一緒に過ごすため、話につきあってもらったり、相談にのってもらったりと、拙いながらも必死にコミュニケーションをとろうとしていたことを覚えている。僕がOBになったときは、逆の立場として在校生と関わることになるのだけど、どちらの経験も今の僕の血肉となっている。
合宿は3泊4日の日程で行われる。県内なので朝出発すれば、ちょうど昼食時に現地に到着する。この時の移動がまたきつい。在校生は20号から30号のキャンバスに、油絵の道具一式を抱えて動かなくてはならない。さらに着替えなども必要だ。こんな荷物を持った20人ほどの集団が、電車やバス、時には船をつかって現地に向かうので、移動だけでも一苦労である。
昼食後は現地を皆で散策し、モチーフを決めていく。何を描くか決まったところで、すぐに制作にはいる。夕食の時間まで目一杯制作し、食後には宿での講評会が待っている。各自が自分の画面について話し、皆で討論しながら先生や先輩の批評を受けるというスタイルである。ここでも言葉の選択や、コミュニケーションの訓練をすることとなる。
これが終わると何ポーズかクロッキーをして(モデルは持ち回り)、昼間の制作の続きを寝るまで続ける。就寝時間は毎日大体12時頃である。次の朝は6時には起床して制作に向かう。朝食をすませて制作。昼食をすませて制作、夕食の後には前日と同じスケジュール。こんな感じの合宿であった。
在校生として参加しても、OBとして参加してもハードなことにかわりはないが、素晴らしい経験であったことは確かだ。

随分、高校時代の話が長くなってしまった。
美術予備校には講習会だけ、高校在学中から通っていた。合宿の日程以外の夏休み、冬休み、春休みと片道2時間をかけて予備校の講習会に参加する。ここでは皆が美術系の大学への進学を志望しているため、美術部とはまったく違った緊張感があった。浪人生にもまじっての制作なので、勉強になることも多い。
現役での合格は叶わず、1年浪人することになるのだけど、このころの美術予備校はスパルタ式のきつい指導が一般的であったと思う。
浪人時代は東京に出てきて、六畳一間での一人暮らしから始まった。何もかもが初めての経験ばかりである。浪人ということはとても不安定な身分である。高校生でも、大学生でも、社会人でもない。頭の中に霧がかかったような、もやっとした気持ち悪さにずっと支配されているような気分である。合格できるかどうかという保障は何もない。
今となっては馬鹿馬鹿しいことだが、浅はかな考えと自分のもろさから、突発的に死にたい気分に襲われることも時々あった。
東京の予備校はスパルタ式にさらに拍車がかかったような指導で、受験生は徹底的に追い込まれる。僕のいたクラスではなかったが、描いていたデッサンを窓から投げられたり、殴られたり(制作中居眠りをしていたり、態度が悪かったりと、本人が悪い場合が多い)といったことが日常茶飯事であった。ここから逃げしたい思いで必死になったものである。こんなところが居心地良くなって多浪するなんて真っ平だと、かなり早い段階で心に誓ったのである。
予備校で学んだことというのは、僕にとっては受験テクニックの吸収であったと思う。むしろ予備校以外で学んだことが多かった時期かもしれない。東京にいるということは、地方とは比べ物にならない情報に触れることができる。インターネットのなかった当時は、特にそれが顕著であった。お金がないので、立ち読みをするぐらいが関の山なのだけど、画集を何時間でも見ていることができたのは本当に勉強になった。美術館にもすぐに行くことができる。あの時もっとお金があれば、といまでも思わないわけではないのだけど。

大学時代は教育という点では、ほとんど書くことがないのでこの辺で終わりにしたいと思う。
受験や進路などで質問のある方は、いつでも気軽にコメントで書き込むか、メールしてください。
経験したことしか話せませんが、少しは役に立てるかもしれません。
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ブログ村ではおかげさまで、美術ランキングと科学ランキングで1位になることができました。
どうもありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします。

投稿者 corvo : 11:52

2005年11月26日

僕が受けた美術教育1

気が付くとエントリーが200を超えている。この怠け者がよくぞ続いたものだ。
これもこのblogを訪れてくれる方、コメントを書き込んでくださる方がいればこそ。感謝しております。

これまで美術教育についていくつかのエントリーを書いてきたのだけど、高校の非常勤講師として教える側からの視点であった。そこで自分自身がどのような教育を受けてきたのか振り返ってみたいと思う。
いきなり高校からの話にしてしまう。というのも美術という分野を初めて強く意識し、自分の進路として選択した時期だったからだ。
僕の住んでいた県では当時、群制というシステムが残っていた。地域別に1群、2群、3群とあり、それぞれに2つの高校が存在した。その2つの高校は全く別の県立高校なのだけど、試験を受けるときは1群を受験、2群を受験といった感じに「群」を受けるのである。どちらの高校に行くことになるかは、機械的に合格者を成績順に振り分けていくので、受験生の意志はまったく反映されない。
僕は志望通り「2群」に合格したのだけど、目指していた高校に進学することができなかった。これには相当にがっかりし、憤りを感じたのをよく覚えている。なぜ頑張って合格して、行きたい学校にいけないのだ!と。
そして、「行きたくない高校」に入学した僕は、自分の進路を決定づける美術教師に出会うのである。彼について詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、美術とは、芸術とは、絵画とは、そんな「いろは」を一からたたき込んでくれた恩師である。
美術部に入部(初めての文化部入部であった。それまでは体育会系)したのだけど、毎日やることはクロッキーと石膏デッサン。じつに伝統的な訓練である。木炭の芯の抜き方、削り方、姿勢、対象を見るということ、諸々の基本的なことを日々繰り返す。そんな制作の合間に美術準備室に呼ばれるのだけど、一年生の僕に向かって「ヨーゼフ・ボイス、知っとるか?君、この作品どう思う?」と時々聞かれるのである。教えてもらった作家は多岐にわたる。1年生の僕がそんな質問答えられるわけもなく、ほとんど黙るしかなかった。それでも辛抱強く、ひとつでも言葉を引き出そうと、話を続けてくれたのである。この時、言葉と言葉によるコミュニケーションの大切さを、強く意識することができたのだと思う。
また、美術部では先輩が後輩にデッサンの指導をすることが伝統になっており、未経験の人間にどうやって指導するかということを経験することができた。それも自分が何も知らないところから教えてもらった経験があったからできた事でもある。
もう一つこの美術部で特筆すべきことは、3年に1回(トリエンナーレ形式で)、OB、OG、在校生によるグループ展を県立美術館のギャラリーで企画、開催していたことだ。全ての運営は在校生に任されるため、企画、出品者への連絡、広報、パンフレットの作成、展示などをこなさなくてはならない。美術系に進んだ卒業生も多数出品するため、大学進学についての相談や作品へのアドバイスなど、とても収穫の多い展覧会であった。
こういった経験を高校時代に数多く積めたことが、その後の生き方に大きな影響を与えたことは確実である。
次回は美大受験、浪人時代について書いてみたいと思う。
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いつもありがとうございます。順位、かなり上がってきました。

投稿者 corvo : 23:16

クロコダイル skull 03

ようやく上顎がほぼ出来上がる。
金曜日に一日出かけていてからの制作だったので、時間が遅くなってしまった。
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全体。下顎はこれから。
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眼窩の周りのディテール。
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投稿者 corvo : 04:13

2005年11月25日

FAVORITE COLLECTION

24日の夜は都内で食事。店は根津の「はん亭」。
僕が造型アドバイザーを務める「フェバリットコレクション」の社長との会食であった。
社長といっても彼は二代目で先代の社長と中国へ行っていた時に、彼が通訳などの手伝いで同行していたときからのつきあいである。当然、食事をしただけでなく、打ち合わせもかねている。
フェバリットコレクションでは、恐竜などの生体復元模型、骨格復元模型などの観賞用モデルを販売している。詳しくは上記のリンクを覗いてみてほしい。
来年には大型の恐竜展も控えており、ミュージアムショップ用のコレクションの充実をはかる時期に来ている。
新しく展開したいシリーズのアイデアもあるのだけど、具体的にしていくのはこれからである。
そこでこのblogでもほしい商品を募集してみたいと思う。これからのフェバリットコレクションに何を期待するか。どんなものを作ってほしいか。どんな意見でも良いので、コメント欄かもしくはメールでこっそりと教えていただけると嬉しいです。
100%期待に応えることは不可能ですが、良いアイデアは反映していきたいと思います。
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投稿者 corvo : 01:22

2005年11月24日

クロコダイル skull 02

今日はクロコダイルの描写にそれほど時間をとることが出来なかった。
なのでそれほど進んでいない。昨日、書いたステッドラーについての補足を。芯の硬さや色味にもばらつきがあるのだが、それ以上に大きいのが軸に使っている木の質である。全ての鉛筆はナイフを使い手で削るので、軸や芯の質の違いは如実に分かる。
デッサン用の鉛筆を削るときは、通常の字を書く状態のものよりも芯を長くだして削る。ストロークの長い線を引いたり、先端の自由度を大きくするためである。細い毛筆を操るような感じを、イメージしてもらえればよいだろうか。
細密な描写に用いる鉛筆は、先端が常に鋭くなくてはいけない。描いている間、常に鉛筆を削っているのでは時間が勿体ないので、かなりの数の鉛筆を削った状態にしてから作業を始める。なので仕事が終わった時に、全ての鉛筆を削ってから休むのが日課となっている。
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昨日、アップした画像はグレースケールであったので、今日は同じ画像をカラーでスキャンしたものを載せている。それほど違いはないかもしれないが、こちらの方が柔らかくみえるかもしれない。
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これが今日の段階。少し眼窩の周囲まで描写が進んできた。だんだん物が見えてきているので、昨日描いたところに不満が出てきた。後で修正する必要がありそうだ。
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ディテール。
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これもディテール。描写に入る前の、軽いあたりの線が見えている。
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ありがとうございます。順調にランキング上がっています。

投稿者 corvo : 16:09

2005年11月23日

クロコダイル skull 01

今日はクロコダイルの頭骨をデッサンする。
これは仕事ではなく、また作品を作るという意図でもなく、目と手の修練として描いているものである。
まずは途中経過まで。
いつものようにアルシュの極細目に、ステッドラーの鉛筆を使用する。鉛筆はHBとBの二種類。これだけ複雑な凸凹のテクスチャーを、短時間で完全に再現することは無理である。これは標本の記録としてのドキュメントを作成するわけではないので、ある程度いい加減に描いている。
とはいっても、出来る限り正確に描写しようと観察し、手を動かしている。全体のバランスも大事だが、僕の場合は徹底的にディテールから描いていくことが多い。このデッサンも端から順に描いている。ディテールを造り上げていくことで、次のプロセスへのプレッシャーをかけているという意味もある。そうでもしないと進まないぐらい、怠け者なのだ。
ひとつひとつの凸凹を目で追っていくときは、虫になったような気分で形態を追いかけていく。出来るだけ細かい解像度で物を見ようとしている。今回は予想以上に消しゴムを使うケースが多かった。これまでこのblogで紹介した狼や猫の頭骨のときは、ほとんど使用していない。
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まだまだこれからというところ。
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ディテール。鼻先。
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これもディテール。
細かなテクスチャーにばかり気を取られると、立体感、空間感を喪失してしまう。光の方向に注意して、立体物を描いていることを忘れてはならない。虫の目になりながら、鳥の目で俯瞰する意識を常に持っていることが大事である。
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誰だ、ズゴックリクエストしたやつ!
また描いてしまった。
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投稿者 corvo : 23:21

2005年11月22日

どうにも止まらない

勢いでモビルスーツ描きだしたら、どうにも止まらない。
また描いてしまった。連続MS-09。前回のがちょっと納得がいってなかったので。

サイトの更新が遅れていて、楽しみにしている方すみません。
ただいま急ピッチで制作しています。今回のメインはなんといっても「絵本「ティラノサウルス」が出来るまで」です。
関係者各位にコメントまで書いていただいてます。
絵本を制作しているときは、メイキングを紹介しようということは全く考えていなかったため、プロセスの写真を残していませんでした。そこで、途中プロセスの場面をモノクロのスケッチで描いています。それほど多くありませんが、記憶をたどりながらの制作です。
ここへ初めて訪れた方は、是非サイトのほうも覗いてみてください。
右上の「鴉頭」(鴉のクチバシを人間の頭骨にくっつけたもの)をクリックしてください。

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どうにも止まらず、ついつい勢いで3枚目。
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遊びに来た方、「ポチっとな」とお願いします。

投稿者 corvo : 22:23

タツノコプロ

続けてアニメの話題。
僕らが子供の時、アニメというとタツノコプロのものにも多くの影響を受けていたかもしれない。
マッハGO!GO!GO!、ハクション大魔王、キャシャーン、テッカマン、ガッチャマン等々。
哀しい過去や宿命を背負った主人公が多く、シリアスな話も多かった。しかし、なんといってもアメコミタッチのリアルな人物造型が僕は好きだった。
学生のとき、タツノコプロでアルバイトをしたことがあるという先輩(芸大の卒業生)に話を聞いたのだけど、このアニメ会社では古くから人物造型の教本に美術解剖学を取り入れていたということであった。その教本はアルバイトにも各自持たされるということで見せていただいたのだけど、確かアメリカで出版されたものだったと思う。関節の動き、筋肉の付き方、骨格の構造などが精緻なスケッチで描かれていた。タツノコプロのキャラクターが、リアルなアメコミタッチであったことに妙に納得したのである。
最近も時々深夜アニメなどを流し見することがあるのだけど、とにかく絵が酷い。特に人物の動きは最悪なものが多い。アニメーションとは動画である。絵を動かすことに醍醐味があるはずなのに動かない。動いたとしてもあまりに不自然な動きが多い。質の高いものもあるが、圧倒的に少数派である。
アニメーションの世界でも、徹底的にデッサンは鍛えるべきであろう。特に人物の描写は、クロッキーやデッサンを繰り返すことで培われる。これらの訓練を拒否しては、まともなスキルを身につけることは無理なのではないだろうか。
せっかくデジタルなど技術が発展してきたのだから、いままで積み上げてきたものに、新たなものを積み上げていってほしいと思う。今のままでは、ただ単純に省力化するために置き換えているだけで、むしろ退行してしまっているように思える。
アナログの技術をきちんと使いこなすことが出来て、デジタルを充分に活かすことが出来ると僕は確信している。
今の時代だからこそ、アカデミックな技術を習得し次代へ伝えていってほしいと思う。
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また勢いで描いてしまった。記憶で描いているので、細かいところは突っ込まないように!
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投稿者 corvo : 00:44

2005年11月21日

ガンダム展

良く晴れた日曜日、友人と上野へ「ガンダム展」を見に行く。
午前中のためか、思ったほど混んでいない。もっと混雑を予想していたのでほっとする。ゆったりと見ることができた。
僕は36歳とどっぷりガンダム世代である。もっともちゃんと見ていたのは「ファースト」「Ζ」「逆襲のシャア」までかな。それまで勧善懲悪で、毎回敵ロボ敵キャラが入れ替わり立ち替わりが当たり前だったアニメのなかにあって、戦争と人間ドラマを持ち込んだ「ガンダム」に興奮したのを今でも覚えている。セリフに結構難しい言い回しが多くて、大人の言葉を学習したという効用もあったかもしれない。
そんな世代の若いアーティストが集まって企画されたのが、このグループ展である。
作品については実際に見に行っていただいて、いろいろな感想をもってもらえればと思う。入場料1300円は多少高いかなという印象があるが、充分に楽しむことが出来た。
大型の立体の作品、インスタレーションの作品に面白く良い作品が多かったと思う。一方、平面の作品、特に絵画は良くなかった。完全に空間の中で負けてしまっている。
最初はあまり乗り気ではなかったのだけど、友人に誘われて「ニュータイプテクノロジーラボ(フラナガン機関内)」に参加してみた。
この作品については、以前あるシンポジウム(僕は聞きにいっただけです)でチーム主任のカズヒコ・ハチヤ氏(八谷和彦氏)から聞いていたので、興味を持っていた。そのときに八谷氏が話していた、作品についての面白かったエピソードがあって、
「自信満々で自分はニュータイプに違いないという人が来るわけです。最初に一次試験(5枚伏せられたカードのなから、2回続けて星印のマークを見つけるというもの)で、ニュータイプの適正を選別するわけですが、その人1枚目のカードであえなく間違えてしまいました。もう気の毒なぐらい落ち込まれて帰っていかれました。」というものである。
でやってみたわけである。1枚目当たる。ここでちょっと欲が出たのがいけなかったのか、2枚目で撃沈。ちょっと落ち込む人の気持ちが分かった。2枚続けて同じ場所とは。後悔している時点で、僕は立派なオールドタイプである。
この作品の詳細については展覧会を見るか、ネットなどで調べていただければと思う。
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これは出口に展示してあった撮影してもよいオブジェ。係の人にblogへの掲載許可を求めたら、分からないということであった。なので、問題があるということでしたら、すぐに削除します。関係者の方ご連絡下さい。
後、もし第二回展がある時は、是非ご一報を。参加、出品したいです。

「ガンダム展」の後に国立科学博物館でランチを食べて、常設展を見学。仕事、プライベートも含めて何度も来ているのだけど、来るたびに発見がある。それにまだまだ見ていない展示も多い。全ての展示をちゃんと見ようとすると、一週間ぐらいはかかるかもしれない。
今回、初めて新刊の地下3階に行ったのだけど、これが面白かった。まだまだざっとしか見ていないのだけど、眼で見ることが出来ない物理の事象を分かりやすく(それでも分からないことがいっぱい)、展示している。
宇宙線を見ることができる霧箱が美しい。何時間でも見ていられるほど飽きない。
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この写真は地下2階に展示されている、有孔虫の電子顕微鏡写真。美しい。これを描くだけで充分作品になるだろう。

前日の夜のPCトラブルで少々寝不足であったのだけど、充実した展覧会日和であった。

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追伸:勢いで描いてしまいました。
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投稿者 corvo : 13:58

2005年11月19日

切り貼り

ダミー本の制作の続き。
今日は出来上がったエスキースのコピーに、パソコンで打ち出したテキスト原稿を切り貼りしていく。
あいかわらず原始的な方法。画像をスキャンして文字を打ち込めばいいのだけど、最初は手で切り貼りしている。デジタルツールはとても便利な道具で、文字や画像の訂正も手軽に素早く行える。では、どうしてわざわざ切り貼りなのか?
いろいろ理由があるのだけど、まず素材の手触りがある。紙を触ることで本の形態を実感することができる。時々ぱらぱらとめくりながら、完成した本の姿を想像する。
また、切った貼ったという作業のリズムも大事だ。手を動かしはさみを使ってテキスト原稿を切る。画面に配置する。少し動かす。微調整。スティック糊で固定。全ての一連の動作がリズムを生み出す。
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切り貼りしている様子の写真。本当におおざっぱなやり方である。
手作業が好きなだけっていうこともあるのだけど。

昨今、デジタルツールの普及や技術の進歩によって、手軽に絵やイラストを制作することができるようになった。
実際、僕はまったくデジタルで絵を描くことはないのだけど、簡単な画像処理やデータの管理には活用している。極めて便利なツールである。
しかしこれから将来、全ての絵の制作がアナログからデジタルに移行するということは起きるだろうか。
僕自身はそうはならないと思っている。
決してデジタルツールの存在を否定しているわけではない。僕の仕事場には職業柄、平均的な一般家庭以上のデジタル設備がある。使いこなせているかどうかは別にして、プロ用と言われる画像処理ソフトも揃っている。
それでも絵を描く上でアナログツールの優位性は揺るぎないと思っている。
アナログツールには、デジタル化出来ない要素が数多くある。紙と鉛筆で考えてみよう。紙の白と言ったとき、それは一色ではない。紙の種類によって、その白さは千差万別だ。同じ種類の紙であっても、荒目、細目、極細目といった表面の仕上げの違いから色味にも違いを感じる。
鉛筆にはH、HB、B、2B・・・など統一規格の濃さが設定されているが、メーカーによってその濃さ、色味は様々である。色々試した結果、今のメーカーに落ち着いている。長く使っているからという理由もあるのだけど、ちなみに僕が使用しているのはステッドラー。日本製に比べて品質管理が悪いのか、同じ濃さでもばらつきがあることがある。そんな場合でもその鉛筆の個性として使いこなすことは可能だ。
先ほど述べた紙の表面の仕上げは、鉛筆のタッチに大きく影響する。当然、仕上がりも大きく違ってくる。これらの組み合わせから自分にベストなものを見つけていく楽しみがある。僕が今一番好きな紙はフランスのアルシュ紙(極細目)である。
ここまで書いてきた素材の持つ情報量を、現在のデジタルツールで再現することは可能なのだろうか。それは無理である。将来的に近づくことはあっても、けっして追いつき追い抜くことはできないのではないだろうか。ただしこれから先、紙に鉛筆で描かれたものが必要とされるかどうかは、また別の問題ではあるが。
油絵は発明されてから500年あまりである。そして、現在も500年前の油絵を鑑賞することができる。その当時、紙に描かれたデッサン(まだ鉛筆はなかったが)も数多く現存している。それでは、これらのものが全てデジタルで描かれていたと仮定したらどうだろうか?
デジタルで画像を見るには、パソコンやデジタル再生機器が必要である。さらに、モニターやデータを読み取るための装置も必須だろう。そして、ソフトの存在も忘れてはならない。こういった環境は各自ばらばらである。これでは、全ての人が同じ絵を鑑賞しているとは言えないだろう。
記録メディアの問題もある。現在、CD、DVD、フラッシュメモリーなどが一般的に使われているが、これらのメディアが50年後、いや10年後でも同じように見ることができるだろうか。ハードもソフトも激変しているだろう。新しいファイル形式や記憶方法が開発されている可能性も大きい。
でも、500年前の油絵を鑑賞することはできる。500年間その絵を保存するには、修復や適正な保管など多くの手間と努力が必要だったのは事実だが、その描き手の込めた情報を受け取ることは可能だ。
今、デジタルでしか存在しない画像を、500年後も鑑賞することは可能だろうか。
デジタルで絵を描く人にも、是非アナログの素材を経験し制作に活かしてほしいと、僕は思う。

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投稿者 corvo : 16:50

2005年11月17日

テキスト原稿作成

絵本の骨格と、絵のエスキースが出来上がったところで、文章の執筆にとりかかる。
漫画などは最初にネームを決めてから絵を描くらしいので、まったく逆の方法をとっている。
普段から文章を読むときも頭で映像化しながら読むので、最初に絵があった方がストーリーも考えやすいのかもしれない。
一応、どんな場面にするかということは箇条書きにしてあるので、おおまかな全体の流れはつかめている。今度は絵で描いてあることを邪魔しないように、細部が分かるよう文章を作り上げていく。前回の「ティラノサウルス」は少し文章が冗長気味なところがあり、絵の良さを消しているという指摘が友人からあった。確かに多くの情報を詰め込もうとしたあまり、文章のリズムや簡潔さが失われていたところがあったと思う。今回はそんなことがないよう、気を付けて文章を組み立てているところである。
blog05111701.jpg
写真はエスキースとテキスト原稿。中央に見えるざら紙に書かれた酷い字が、この絵本の物語である。我ながら本当に酷い字である。漢字の間違いも多く、分からず平仮名のままのところもけっこうある。時間をあまりかけないで速く書かないと、どうも文章はうまくいかない。絵のような画像を記憶しておくことは得意なのだけど、文章になると途端に記憶力が悪くなる。ひとつの文章を作るときも、何度も最初に戻って読み直さないと、次が書けないという始末である。
わざわざ手書きしているのは、文字を大きく書いたり、小さく書いたり、図のように組み合わせたりといったことが容易に出来るからだ。これがパソコンのワープロソフトになるとどうにもやりにくい。いつも手書きの原稿を作ってから、パソコンで清書する方法をとっている。
これで材料が揃ったので、週末にはダミー本を制作することができる。
来週始めには編集者と監修者へ、ダミー本を届けることが出来るので、ようやくスタート地点に立ったようなものだ。第三者の眼が入ることで、より良いアイデアやまずいところが見えてくるだろう。
ふらふらしながらもようやく歩き出した、今はそんな気分である。

投稿者 corvo : 23:23

2005年11月16日

頸椎の関節

前回のエントリーのコメントで、関節についての質問があったので、アパトサウルスの頸椎を例に解説してみたいと思う。
blog05111601.jpg
図Aは頸椎の関節突起の関節部分だけを図示したもの。図Bと図Cは第13、14、15頸椎を二通りの方法で関節させてみたものである。側面から見ているだけなので、立体としての把握はしにくいと思うが、この角度からでも分かる部分について説明してみたい。
頸椎には前後に関節突起がある。それぞれ左右に分かれていて、前後でつながっている。また、頸椎の中心にある円筒形の椎体でも前後につながっている。正面から見ると、関節部分がちょうど三角形になる。図Dを見てもらうとよく分かると思う。
関節面には可動範囲があって、その範囲内で関節を動かすことが出来る。ただし、骨だけで想定される可動範囲は、筋肉などの組織が付いた場合よりも大きいと考えなくてはならない。
図Aの関節突起の関節方法が正しいとすると、頸椎は図Bのように関節するはずである。図Cのように首を高くそびえるように上げようとすると、どうしても椎体の関節を「脱臼」させなくては無理である。
自然に関節させようとすると、首を高く上にあげることは無理がある。
blog05111603.jpg
写真は人間の頸椎。7個ある。
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こちらは人間の胸椎1番目から3番目である。関節突起の関節の仕方に、アパトサウルスとの共通点があることが分かると思う。
うまく説明できたかどうか自信がないのだけど、また、分からないところあったら、質問ください。

投稿者 corvo : 22:41

2005年11月15日

エスキース制作

今日は次の絵本のためのエスキース制作。
このエスキースを元に簡単な製本をしたもの(ダミー本)が、出版社へのプレゼン資料となる。
本を一冊作る作業は、何度も見る、読む行為の繰り返しである。全ての過程を繰り返すことで、徐々に精度を上げて完成へと近づけていく。
同じ構図の画面を少しずつ修正を加えていく。また、時には大きく変更したり、まったくカットしてしまうこともある。
しかし、最初に決定した土台の部分がしっかりしていないと、どれだけ修正を加えても良い方向へは進まない。この土台を築くためにもっとも時間をかけているかもしれない。ここがしっかりしていれば、うまくいかなくなったときの軌道修正も容易にすることができる。
今のところ、まだ土台の作業をしているところである。
blog05111501.jpg
ここに写っている論文はSVP3日目に会場で購入した「The Osteology of Apatosaurus」である。やはり買うべきものだったのだと実感する。
図版のコピーは以前から持っていたのだけど、原書の持つ充実度には及ばない。まあ、気分的なものも大いにあるのだけど。1936年の出版ながらいまだ新品の本の香りがする。
これで良い絵本が出来ないわけがないと、自分に暗示をかけているのである。

投稿者 corvo : 23:32

2005年11月14日

楽天ショップ

ちょっと宣伝を。
2003年に個展を開催したギャラリー間瀬(ギャラリー銀舎)さんのサイトから、小品を出品しています。ショッピングをクリックしてみてください。直接、楽天市場からも行けます。鉛筆、銀筆、チャコールペンシルを使った、モノクロの作品が主です。
時間のある時にも、覗いてみていただければ幸いです。

投稿者 corvo : 14:41

荒俣宏講演会

13日、金沢からとんぼ返りした次の日、今度は群馬県立自然史博物館へ荒俣宏氏の講演会を聞きに行く。
先月、このblogでも紹介した「ニッポン・ヴンダーカマー 荒俣宏の驚異宝物館」に関連したイベントである。
ちょっと言い訳なのだけど、連日の疲れからほぼ半分は落ちていました。興味深い話も、面白い画像も多かったのだけど荒俣さんのたんたんとしゃべる語り口に、睡魔が呼び寄せられて・・・・(全ては僕が悪いのです)。残念。
講演会後、御著書にサインをいただき握手していただく。テレビなどで見る、そのままの印象。飾らず、マイペース。講演会も予定の90分を大きくオーバーして、2時間以上休憩なくしゃべり続けるというタフさ。

この日は博物館のある公園内で、他のイベント(地元の経済界関連のようなものであった。「産業祭」だったかな?)も催されており駐車場の誘導などに問題が多かった。このイベントに伴った講演会も、荒俣さんの講演会と別に催されていたようで、博物館から離れた駐車場に誘導されてしまった。
あとで案内の人に確認をすると、荒俣さんの講演会の存在を知らないというのである。同日に同じ施設内で行われるイベントを把握していないとは!しかも、博物館内のホールを利用しているのにである。
荒俣さんの講演会は盛況で、満席であったのだけど、ちょっと水を差された気分になってしまった。

産業にたいして、博物館、美術館の存在が軽視されているように感じたと思うのは、考えすぎだろうか。

投稿者 corvo : 13:58

2005年11月13日

金沢での講演会

12日、金沢での講演会。
雨の中、ANA751便で8時45分に羽田を出発。
ほとんど寝る間もなく、9時50分予定通り小松に到着。
その後、迎えに来てもらった車で会場へ移動する。
会場である石川県立生涯学習センター周辺は、金沢城公園、兼六園も近く紅葉が美しい。
講演まで時間があったので、金沢21世紀美術館を見に行く。この美術館、友人からとても良いと聞いていたのだけど、予想以上に素晴らしかった。
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建物はフラットで高さがなく、街の中の景観にとけ込み威圧感がない。周囲の敷地は公園になっており、美術館内部へは四方向から入ることが出来る。また建造物の周囲はガラスで出来ていて、開かれた印象を与えている。
企画展「もうひとつの楽園 Alternative Paradise」はなかなか面白かった。日本と海外合わせて11人の招待作家によるグループ展と、茶室をテーマにした「T-roomプロジェクト」からなる展示で、「「工芸」の現代的価値を問いかける」ことが基本コンセプトにある展覧会ということである。
招待作家の作品もきちんと作り込まれた作品で、展示空間をきちんと使いこなしていたと思う。この美術館は様々な大きさや形の展示室に分かれており、作家のスケール感、作品のサイズなどに合わせて、もっとも適した空間を選ぶことが出来るようだ。独立した展示空間もそれぞれが緩くつながっており、うまく響きあっていたように感じた。
ぞれぞれの展示室には、ボランティアと思われる解説員の方が常駐しており、こちらの質問に丁寧に答えてくれる。いままで現代美術には興味がなかったのだけど、これをきっかけに勉強したといった感じの方が多く(あくまでも僕の印象です)、とにかく一生懸命に説明をしてくれるのである。
ぎこちない所がありながらも、この美術館が好きだという気持ちが伝わってきて、見る側も自然に楽しい気分になってくる。
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写真のプールに見えるのは、常設展示のレアンドロ・エルリッヒ作「スイミング・プール」である。強化ガラスに水が張られていて、地上からと地下からの両方から作品を体験することができる。時々、知らない人同士でらカメラを向けあったりしながら、コミュニケーションが生まれたりと楽しくとても美しい作品である。特に金沢は天気が良かったので、水の波紋がきらきらと輝いていた。
本当はずっと美術館にいたかったのだけど、講演会の時間が迫ってきたため仕方なく会場へ戻る。

13時の受付時間直後は出足が悪く、主催者もやきもきしていたようだが、最終的には50名ほど集まっていただき盛況のうちに講演会を始めることが出来た。
今回、用意していったスライドショーは3本立てである。
1. 「恐竜の世界を復元するには」。どういうプロセスで恐竜を復元するかを、実際の制作過程を紹介し説明。また、全身の骨格がほとんど揃っている場合の復元と、一部の化石しか見つかっていない場合の復元の二通りの方法を解説した。
2. 「Paleontology art」。これまで制作した復元画の一部を60点ほど紹介。
3. 「SVP2005」。今年10月にアリゾナで開催されたSVPの様子を紹介。これが一番受けたかも。
思った以上に年配の方の参加が多く、子供たちが少なかったのが少し残念。
復元画の制作過程を紹介したのは、このblogでも連載していた「アパトサウルス」と、1999年に新聞やテレビでも報道された「白峰村で発見されたオヴィラプトル類」である。オヴィラプトル類の復元は、たった一個の「末節骨(指先の骨)」から全身の復元画を描くというもので、非常に挑戦的な仕事であったことを思い出す。
ここで解説しようとすると非常に長くなるので、機会があればworkshopで紹介できればと思う。
講演会をやると、毎度のことながら「色」の質問が出る。毎回、必ず質問しないようにと、最初に色は分からないということを説明するのだけど、今回はその説明をする前に質問を受けてしまった。この質問、とても嫌いです。
「色」の復元は、あまりに材料がなさすぎる。どう説明しても、質問した人を満足させることは出来ないだろう。確証ある解説など絶対に無理である。
しかし、骨格や筋肉の復元ならば、正解にたどり着くことは出来ないかもしれないが、残された化石証拠から色々な結果やアイデアを導き出すことができる。是非、ここの面白さを理解してほしい。
色についてはこちらを参照「恐竜の色は?」。こんな程度に考えておいてほしい。
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講演会の様子の写真。90分しゃべり続けるのはさすがに疲れる。もっとうまくしゃべれるよう、色々と工夫していかなくては。毎回思うことだが、自分の考えを整理して話すことはとても勉強になる。
この日のうちに、自宅へとんぼ返り。さすがに日帰りはきつい。

この度はスタッフの皆様、ご来場いただいた皆様。どうもありがとうございました。
これに懲りずにまた呼んでください。そして、また聞きに来てください。

投稿者 corvo : 22:51

2005年11月12日

レオナルド・ダ・ヴィンチ展

金曜日、非常勤講師の仕事の後、六本木へ移動してレオナルド・ダ・ヴィンチ展を見に行く。
ビル・ゲイツ所有の「レスター手稿」の実物が、全て公開される展覧会である。もちろんレオナルドの直筆であり、当時の紙、インクそのものである。展覧会といえども、このデリケートなノートのために照明は極力抑えられている。その弱い光も常にあたっているわけでなく、インターバルをおいてかすかに見えるぐらいまで光量を落とし保護している。
ほとんど真っ暗といってもよい展示室で、少し光が強くなった展示ケースへ人々が移動するという、ちょっと奇妙な光景ではあった。
手稿はノート状になっていたもののページを外し、見開き裏表4ページを両側から見えるように展示されているのだが、思っていたよりも大きな紙であった。アイデアを書き記したメモとはいっても、鏡文字がびっしりと几帳面に書かれており、ほとんど書き直した後がなく、レオナルドの思考が淀みなく筆記されていることがうかがわれる。
ときおり入るスケッチはレオナルドの筆致の凄みはほとんどなく、非常に楽に描かれたメモであるように感じられる。確かに紙やインクは劣化しているのだけど、そのメモに生き生きとした同時代性を強く感じる。
図録はなかなかしっかりした作りで、一部抜粋されたページの詳細な対訳がついており、資料としても面白い。全て、対訳をつけてほしいと思うのは贅沢な欲求であろうか。

久しぶりの六本木で、帰りに青山ブックセンターへ立ち寄る。
以前、部屋を片づけたときに見つけた図書カードが財布にあることを確認して、本を選ぶ。なかなか思い切った買い物をして、いざレジで会計となったときに図書カードの残高が数百円であることが判明。いや、まったくぼけている。パンチの穴が開いていないと思いこんでいたのでした。
もちろんここで返品することなく、支払いを済ませて六本木を後にしたのであった。
とても良い本が手に入ったので、近々紹介できればと思う。

明日というか、今日はいよいよ金沢での講演会。
これから短い睡眠時間をとって、朝から飛行機で行ってきます。帰りも当日に飛行機で戻ってくるので、12日のうちに講演会の様子をアップできるかも。

投稿者 corvo : 00:43

2005年11月11日

次の絵本

暖めてきた次の絵本の企画を始める。
今の段階ではまだ出版は決定ではないので、お知らせできることは少ない。
今月中にダミー本を作り、出版社に持ち込む予定である。このタイミングで作っていかなくては、出版したい時期から遅れてしまう。
全体の構成がかなりはっきり見えてきたので、細部のアイデアも固まりつつある。
前作「ティラノサウルス」は不満の残る部分も多い。確実にこれを超えるものを作りたいと思っている。
どうかご期待下さい。
blog05111101.jpg
最初のラフとメモはこんな感じ。これがないと、全体を俯瞰することができない。

投稿者 corvo : 00:24

2005年11月10日

講演会のお知らせ

講演会のお知らせです。以下の内容で今週土曜日に、石川県金沢市で講演会を行います。
北陸近辺にお住まいの方(もちろんそれより遠方の方も)、時間がありましたらご来場いただけると幸いです。
-----
平成17年度自然史講演会
『恐竜の世界を復元するには』
講 師:小田 隆(画家)
内容:恐竜等の古生物の科学的復元画の制作について.
日 時:2005年11月12日(土)13:30〜15:30(13:00受付開始)
会 場:石川県立生涯学習センター22号室
   金沢市広坂2-1-1
参加費・申込:不 要
主 催:石川県教育委員会生涯学習課(石川県自然史資料整備室)
問い合せ先:076−243−6062
-----
基本的にはKeynoteを使ったプレゼンテーションになります。
復元の具体的な例をあげて、その過程を詳しく説明することができればと思っています。また、少しSVPのレポートもお話しするかもしれません。講演の後には質疑応答の時間と、絵本「ティラノサウルス」の販売とサイン会も行います。
皆様、よろしくお願いいたします。(関東の方、遠くてすみません)

投稿者 corvo : 12:57

2005年11月 9日

美術教育の現状2

ふたたび美術教育についてである。ここのところ頭の半分ぐらいが、こっちにいってしまっている。
真剣に考えていかなくてはならないことだし、将来的に自分の仕事にも影響を与えることであるのだが、少々時間を取られすぎている。
前回の美術教育の現状でも、多くのコメントをいただいた。やはり興味を持ってくれている人は多いと思う。
次の田中清代さんの言葉は心に響く。(コメントから抜粋)
「小学、中学などで美術教育が削減される可能性のお話、耳を疑いました。なぜなら、子どもたちは年齢が低ければ低いほど、絵や音楽を身近なものとして感じていると思うからです。日々漫画やゲームに触れ、イメージの世界に慣れ親しんでいる彼らを、美術から切り離すのは酷というか、ナンセンス!ではないですか。それに、義務教育以外の時間で絵を習ったりするのは、実費がかかるわけで、学ぶことの範囲を狭められることは権利の侵害であると思います。」
彼女は素晴らしい絵本の数々を出版していて、子供の身近にいるアーティストのひとりである。そんな彼女も僕も、つい最近まで時間数削減の危機が迫っていることを知らなかったのである。

掲示板「図画工作・美術教育の大切さを訴える」は、美術教育について前向きなアイデアを出していこうという趣旨のもと運営されており、どんなことでもどんな方でも書き込むことができるオープンな掲示板である。
しかし、残念なことに趣旨に反する書き込みがあり、困惑している状況である。書き込みの内容の是非、誰の書き込みかについては読んだ方の判断に任せるが、僕自身は非常に腹が立っている。
とにかく良い方向に盛り上げていってほしいと思う。
皆さんの書き込みをお待ちしています。(まるで運営者のようですが、僕は一参加者です)


投稿者 corvo : 01:16

2005年11月 8日

サイトの更新遅れています

どうもすみません。最初からお詫びです。
サイトの更新遅れています。
もう少々お待ちください。

もう一つ事後報告を。
11月5日付けの読売新聞夕刊ほっとサイエンスのコーナーで、恐竜の色についての記事が紹介されました。
うちでは読売をとっていないので、今紙面を送ってもらっているところです。
そこで紹介されているイラスト2点。(小学館図鑑NEO「大むかしの生物」から)
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Stegosaurus
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Deinonychus
取材を受けて、少しコメントもしていますので、興味のあるかた読んでみてください。


投稿者 corvo : 23:34

2005年11月 7日

自画像ー鼻から描いてみる

以前、人の顔を描くときに鼻から描くということを書いたのだけど、実際にやってみたのでプロセスを紹介したいと思う。(他の動物の時も鼻というか吻部から描くことが多いです)
鼻から描く理由は、顔の中心にあること。顔の中で最も高い位置にあること。また鼻の長さを基準に、各部のプロポーションを決定しやすいなどがある。
これはあくまでも一例であり、僕にとってやりやすい方法であるというだけで、絶対的なものではない。

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文字通り、鼻から描き始める。
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次に口、鼻の位置を決定していく。
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ディテールの描き込みを進めていく。
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このあたりの段階から輪郭を意識していく。
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大体の輪郭を描いてきたが、まだ決定ではない。
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完成。ここまでおよそ60分。輪郭を決定するのは、ほとんど最終段階である。
自画像を描く難しさは自分がモデルであるため、画面に眼を落とすたびにモデルが動いてしまうことである。描くことと同時にポーズを取り直すことも意識しなくてはならない。それでも非常に良い訓練になる。顔の立体感がよく分かるようなライティングで描くことも、重要な要素である。正面からストロボがあたったようなライティングで描くことは極めて難しい。
眼球の白目の部分は確かに色としては白なのだけど、モノクロのデッサンの中ではそれほど白い要素ではない。どういうことかというと、眼球はまぶたの奥にあるため、上からのライティングだと直接光が当たることがなく、陰の中に存在することになる。白目といえども比較的暗いトーンになるため、鼻や頬の周辺のほうが明るく見えるはずだ。
この作例でも、白目の部分はほとんどグレーである。
久しぶりに描いてみると、まだまだ駄目な部分がある。眼で見て、脳で知覚し、手で描くことの大切さを実感する。

投稿者 corvo : 17:24

2005年11月 6日

モンゴル報告会

今日はモンゴル報告会に出席。
1996年から始まったモンゴルでの恐竜発掘の2005年報告会である。ツアーとして多くの愛好家が参加しているイベントで、毎夏行われてきた。
僕自身は昨年2004年に初めて参加し、モンゴルの自然とフィールドでの発掘を経験することができた。今年は昨年とはまったく違う場所での発掘だったということもあり、参加者が撮影した写真、ビデオを興味深く見せてもらった。
今回の発掘地の地層は粘土のような質で、頁岩とよばれる薄い板状の層が重なっている。参加者のコメントで「火事にあった図書館に残された本の燃えかす」というのがあったが、まさにそんな感じであった。文字通り、本を手に取るように何層かをまとめて掘り出し、ページをめくるように化石を探す。粘土質のためページはぐにゃりと曲がり、画像でみる限りまさに「黒こげになった本の燃えかす」である。
この日は僕も簡単な講演を依頼されていて、「SVP2005」の紹介をしたのだけど、主催者のまずいスケジューリングでわずか7分ほどしか話す時間がなく、大いに不満であった。

その後、巣鴨にあるモンゴル料理屋「シリンゴル」へ移動。
羊尽くしである。羊が苦手な人は、モンゴルへ行くことも大変だろうし、ここでも食べるものがないだろう。店の入り口には「羊に始まり、羊に終わる」の一文が。羊を堪能したひとときでした。

話が変わるが、本田美奈子さん死去。同世代(彼女のほうが少し上だが)の表現者が亡くなってしまったことにショックを受ける。発病の報道があってから、今の医学でなら治るだろうという希望的観測を持っていたのだが・・・。
ご冥福をお祈りします。

投稿者 corvo : 23:55

シュヴァンクマイエル展

昨日、葉山にある神奈川県立近代美術館葉山へ「シュヴァンクマイエル展」を見に行ってきた。
11月だというのに暑い。まさか車のクーラーのスイッチを入れることになるとは思わなかった。
シュヴァンクマイエルはチェコの映像作家で、シュールレアリズムを映像で具現化したような作品を作り続けている。
今回の展示の中心は映像作品で使われたオブジェと、創作ノートとも言える精緻なコラージュ、そして彼の妻で画家であるエヴァ・シュヴァンクマイエルの絵画である。
葉山の美術館はコンパクトではあるけど、美しい空間で構成されている。シュヴァンクマイエルの展示には上品すぎたかもしれない。
驚いたのはオブジェの大きさ。大きい。本物の骨格や剥製を使って繋ぎ合わせているので、自然と大きくなってしまうのだろう。映像の撮影にもちょうど良い大きさなのだろう。以前、見たアードマンスタジオ(「ウォレスとグルミット」などが代表作。)の展覧会でも、オブジェの大きさに驚いたことを思いだした。また、コラージュが丁寧で美しい。
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美術館外観。
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敷地内から海を臨むことができる。潮の香りが懐かしい。
残念ながら、この展覧会は今日までである。

投稿者 corvo : 10:50

2005年11月 4日

美術教育の現状

ここのところ美術教育について調べたり考えたりする時間が長い。
現在、美術を含む芸術教科は、時間数削減の方向に向かっているということである。高校では選択制になっている場合がほとんどだと思うが、小学校、中学校でもこの流れになってきているらしい。これは非常にまずいことだと思う。特に小学校、中学校では、幅広く多くの経験を積んだ方が良い。
表現活動を行うには、ある程度のまとまった時間が必要である。考えることもたくさんあるし、肉体を使った物理的に時間のかかる作業も多い。それを安易に時間数を削ってしまうと、中途半端なものになってしまう危険性が高くなる。
「〜式」のようにマニュアル化された手法が歓迎されるのは、こういった背景もあるのかもしれない。インスタントに素早く完成することが出来れば、子供にも親にもある程度の満足感は残るかもしれない。でも、それはあくまでも人の思考と認識に頼った結果でしかない。心の底から熱中し、感動することは出来ないだろう。まず、自分自身が感動していないものに、他人が感動するわけがない。これでは何も伝わらない。
絵を描くには自分が世界をどう認識しているかを知り、考える必要がある。このことは世界、自然がどんな仕組みや構造で出来ていて、その中で自分たちがどんな役割をもっているかを知るきっかけとなる。これは人間形成の上で重要なことではないだろうか。
先日、中学の美術教諭である山崎先生の主催するblog「図画工作・美術教育の大切さを訴える」へ自分の考えを簡単にまとめて投稿してみた。リンクからもちろん読めるのだけど、ここへも転載しようと思う。以下のような文面だ。
-----
職業としての芸術

今の日本の教育全般に欠けているものに、職業と経済があると思います。
人間が社会に出るためには職業を持ち仕事をすることが不可欠です。そして、経済が回っていきます。
その中で人々は生まれ、生活し、死んでいきます。
ここで言う仕事とは必ずしもお金を得るものだけでなく、主婦業やボランティアも含みます。(どちらの仕事も大きな生産性を持っています)
芸術に携わる職業もあります。絵を描いたり、楽器を演奏したり、詩を書いたりすることだけでなく、プロデュースをしたり、マネージメントをしたり、著作権の専門家になったり、様々に関わる方法があります。
芸術家であること、芸術に関わることは立派な職業であり仕事のひとつです。
それを教育の上でどれだけ説明できているでしょうか。また、他の職業についてはどうでしょうか。
手を動かして表現することは、頭でイメージしているだけではできません。
逆に手だけ良く動いても、頭にイメージが浮かんでなければ、何かを創造することはできません。
これだけでも、あらゆる分野に共通する普遍性のある部分ではないでしょうか。
物事を観察し、その本質を見抜く力をつけるには、芸術の鑑賞は非常に向いていると思います。
芸術というものは、天才たちだけが作り上げてきたものではなく、人間が長い時間をかけて少しずつ築き上げてきた叡智の結晶です。
全ての人間のために開かれた存在です。
この素晴らしいものに触れる経験をつみ取ることは、絶対にあってはならないことです。

(小田 隆(36歳、画家、イラストレータ、都内高校の美術科非常勤講師)
-----
このblogへは誰でも投稿することができる。現時点ではどうしても、現役教師の方の投稿が多くなっているが、教育の問題は、僕のように社会に出てフリーでやっている人間にも大きく関わってくる。
勉強が良くできて、テストの点数もいいけど、まったく芸術に関心が無く、ほとんど芸術表現の経験のない人間が社会に出てくることを想像してほしい。クライアントの組織がこんな人間ばかりで構成されているとしたら・・・・。現状でも、これに似たようなことはあるかもしれないが。とにかく僕はぞっとする。

高校の美術教師、中村シキカツさんの「美術教育の行方」も大変興味深く、意義のある考えであると思う。興味のある方は是非、読んでみてください。

このblogがなかったら、美術教育に関してこんなに真剣に考えることはなかっただろう。
これから将来に向かって考えていかなくてはならない課題の一つであると、いまでは思っている。

投稿者 corvo : 23:09

2005年11月 3日

東京モーターショー

今日は東京モータショーへ行ってきた。
このイベントについては、もうたくさんの方がwebやblogで書いていると思うので、少々雑感を。
祝日だったこともあり、午前中からかなりの人出である。駐車場は遠かったが、幸い天気がよくて気持ち良く会場まで行けた。駐車場に停まっている車をチェックするのも楽しみのひとつなのだけど、それほど目にとまる車はなかったのが残念。

まずはルノーのブースのラウンジでコーヒーをいただく。
国産車のブースはほとんど見ずに、欧州車のブースばかり見て回る。(国産車のブースは人がごった返しで、身動きとれないというのも理由のひとつ)
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ブガッティ(確かブガッティ、間違いないはず)。こんな車を作ってしまえる余裕がうらやましい。
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ついつい古い車に眼がいく。スバル360。一番最初に買った車がホンダZ360。空冷2ストと水冷4ストの違いはあれども、同じ360ccの排気量ということから懐かしく見てしまう。ぴかぴかにレストアされているが、デビューは1958年なので、すでに半世紀あまりがたっている個体のはずだ。
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ホンダS800。一度はハンドルを握ってみたい名車のひとつである。
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こちらはELIICA(エリーカ)。慶應義塾大学と民間企業が連携して造り上げた、電気自動車の合同プロジェクトの成果である。テレビのドキュメンタリーで見たことはあったのだけど、実物を見るのはもちろん初めて。実際見るとかなり大きいが、非常に完成度の高い車体であると思う。
この写真は「記録挑戦車」の方で最高速度は370㎞をたたき出す。「公道実験車」も展示されていて、こちらはナンバーを取得していて実際に公道を走ることが出来る。
こういった試みが、大学と企業の合同で出てくることは歓迎されるべきことである。しかし、もっといろいろな所から同時多発的に出てきてもいいのではないだろうか。どの自動車メーカーのブースよりも、エキサイティングでおもしろかった。
日本のメーカーはますます保守的になっているような気がする。見せかけのコンセプトカーではなく、コンセプトカーであったものが実車として公道を走る姿を思い描かせて欲しいと思う。


投稿者 corvo : 22:55

2005年11月 2日

ファンタジー小説の挿絵

あるファンタジー小説の挿絵を描くプロジェクトが始まったところ。
ここで全て公開するわけにはいかないのだけど、若干フライング気味に紹介してしまう。近々、別のblogで紹介できると思うので、それまでのちょっとした繋ぎぐらいに考えておいてください。
今日、始めたのはこの小説を象徴するようなカバーイラスト。
メインになるのは人間の手(正確には人間の手ではないのだけど)。手を描くことは、本当に難しい。顔を描く難しさの比ではない。
手は空間の中で様々な表情を見せる。それぞれの指は独立して動き、極めて繊細な機能を持っている。手を描くことは、「観る」「描く」ということの基本を突きつけられる行為でもある。いつも以上に集中力を必要とする。
描くたびに、いまだ未熟であることを実感する。
blog05110201.jpg
描き始めて15分ぐらい。まだまだ序盤。
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少し寄ったところ。エスキースまで完成しているのだけど、最初に書いた事情があるのでここでは公開できない。
もう少しお待ちください。

投稿者 corvo : 22:49

2005年11月 1日

ちょっと停滞中

昨日、今日とパソコンの前にずっといる。
これまで放ってあった作品のデータベース作りを進めているのだ。作品の写真をスキャナーでデジタル化して、ファイル名を付けタイトルなどのデータをまとめていく。作品のデータを探すだけでも一苦労である。これまで統一したフォーマットで作っていなかったので、書類がばらばらになってしまっており、記憶を頼りに探す作業から始めなくてはいけない。
さすがにモニターを眺め続けると眼が疲れる。
普段はそれほどパソコンで作業することはないので、長時間モニターを眺めることはないのだけど、まとめてやっておかないと後々困るので仕方ない。
サイトの更新のためにも、作品のデータベースは重要である。ファイル名にもルールを作って、管理しやすいように作っている。

あまりネタがなくてすみません。
近々、あるギャラリーから楽天経由で作品の販売をすることになりました。詳細わかり次第お知らせします。今日はこのあたりで。
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出品予定の作品のひとつ。小品です。
「the unknown skull 05-5」 縦15.0cmx横10.0cm 額装済

投稿者 corvo : 23:34