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2005年11月 4日

美術教育の現状

ここのところ美術教育について調べたり考えたりする時間が長い。
現在、美術を含む芸術教科は、時間数削減の方向に向かっているということである。高校では選択制になっている場合がほとんどだと思うが、小学校、中学校でもこの流れになってきているらしい。これは非常にまずいことだと思う。特に小学校、中学校では、幅広く多くの経験を積んだ方が良い。
表現活動を行うには、ある程度のまとまった時間が必要である。考えることもたくさんあるし、肉体を使った物理的に時間のかかる作業も多い。それを安易に時間数を削ってしまうと、中途半端なものになってしまう危険性が高くなる。
「〜式」のようにマニュアル化された手法が歓迎されるのは、こういった背景もあるのかもしれない。インスタントに素早く完成することが出来れば、子供にも親にもある程度の満足感は残るかもしれない。でも、それはあくまでも人の思考と認識に頼った結果でしかない。心の底から熱中し、感動することは出来ないだろう。まず、自分自身が感動していないものに、他人が感動するわけがない。これでは何も伝わらない。
絵を描くには自分が世界をどう認識しているかを知り、考える必要がある。このことは世界、自然がどんな仕組みや構造で出来ていて、その中で自分たちがどんな役割をもっているかを知るきっかけとなる。これは人間形成の上で重要なことではないだろうか。
先日、中学の美術教諭である山崎先生の主催するblog「図画工作・美術教育の大切さを訴える」へ自分の考えを簡単にまとめて投稿してみた。リンクからもちろん読めるのだけど、ここへも転載しようと思う。以下のような文面だ。
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職業としての芸術

今の日本の教育全般に欠けているものに、職業と経済があると思います。
人間が社会に出るためには職業を持ち仕事をすることが不可欠です。そして、経済が回っていきます。
その中で人々は生まれ、生活し、死んでいきます。
ここで言う仕事とは必ずしもお金を得るものだけでなく、主婦業やボランティアも含みます。(どちらの仕事も大きな生産性を持っています)
芸術に携わる職業もあります。絵を描いたり、楽器を演奏したり、詩を書いたりすることだけでなく、プロデュースをしたり、マネージメントをしたり、著作権の専門家になったり、様々に関わる方法があります。
芸術家であること、芸術に関わることは立派な職業であり仕事のひとつです。
それを教育の上でどれだけ説明できているでしょうか。また、他の職業についてはどうでしょうか。
手を動かして表現することは、頭でイメージしているだけではできません。
逆に手だけ良く動いても、頭にイメージが浮かんでなければ、何かを創造することはできません。
これだけでも、あらゆる分野に共通する普遍性のある部分ではないでしょうか。
物事を観察し、その本質を見抜く力をつけるには、芸術の鑑賞は非常に向いていると思います。
芸術というものは、天才たちだけが作り上げてきたものではなく、人間が長い時間をかけて少しずつ築き上げてきた叡智の結晶です。
全ての人間のために開かれた存在です。
この素晴らしいものに触れる経験をつみ取ることは、絶対にあってはならないことです。

(小田 隆(36歳、画家、イラストレータ、都内高校の美術科非常勤講師)
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このblogへは誰でも投稿することができる。現時点ではどうしても、現役教師の方の投稿が多くなっているが、教育の問題は、僕のように社会に出てフリーでやっている人間にも大きく関わってくる。
勉強が良くできて、テストの点数もいいけど、まったく芸術に関心が無く、ほとんど芸術表現の経験のない人間が社会に出てくることを想像してほしい。クライアントの組織がこんな人間ばかりで構成されているとしたら・・・・。現状でも、これに似たようなことはあるかもしれないが。とにかく僕はぞっとする。

高校の美術教師、中村シキカツさんの「美術教育の行方」も大変興味深く、意義のある考えであると思う。興味のある方は是非、読んでみてください。

このblogがなかったら、美術教育に関してこんなに真剣に考えることはなかっただろう。
これから将来に向かって考えていかなくてはならない課題の一つであると、いまでは思っている。

投稿者 corvo : 2005年11月 4日 23:09