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2006年11月24日

「水からの伝言」まとめ

前回の『「水からの伝言」って何だ』には、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。初めての方とも意見を交換することができ有意義なやりとりが出来たと思います。
今回、タイトルに「まとめ」と書きましたが、多分うまくまとまらないと思います。始めから言い訳しておきます。今の僕にとって切羽詰まった問題ではないという側面が大きいのですが、少なからず科学と教育に関わっているものとして、無視出来ないことだと感じたのは確かです。

最初、川端さんのblogで「水からの伝言」の存在を知り、田崎先生の「水からの伝言」を信じないでくださいを読んだことで、批判的な視点が入り口ではあったのですが、どこをどう好意的に解釈しても僕にはデタラメとしか判断できません。
「水からの伝言」が問題であることは明白なのですが、それ以上に根の深い問題として、学校の教育の現場で紹介され道徳の授業にまで使われた実績があるということです。
実際に授業で使われたものかどうかは不明ですが、道徳学習指導案なるものがネット上にあります。これを見て驚いたのは、前回のエントリーにコメントをしてくれたアンクルディノさんの提案とほぼ一致しているということです。コメントでも書きましたが、僕は絶対に教育現場で道徳の授業であろうとも、教材として使ってはいけないと思います。今、小中学校の教育現場が置かれている背景に、根の深い共通項があるのでしょうか、「自殺」「いじめ」などがキーワードになると思いますが、多くの方が指摘しているように「水からの伝言」は「いじめ」を助長することはあっても、なくす効果は一切ありません。
人間の精神活動を「水」の判断に委ねることに、大きな疑問を感じます。ここは「惑星ソラリス」ではないのです。
美しい音楽を聞かせると、美しい結晶ができるという主張もあるようですが、日常的に極めて汚い言葉を使っていたモーツアルトの音楽での効果は、いかほどのものなのでしょうか。その音楽が美しいかどうかの判断は、人それぞれで分かれます。前回も書きましたが、美術にも音楽にも、絶対的な美の価値は存在しません。美術も音楽も、人間の精神活動が生み出したものであり、コミュニケーションの道具の一つだと考えることができます。水に美しい音楽を聴かせて、美しい結晶が出来たと主張する人たちは、自分が美しいと思っている音楽を押し付けているにすぎないのです。
今、名曲と呼ばれクラシックとして位置づけられる曲たちも、その時代の流行歌であったこともあれば、権力者の娯楽のためでもあったわけです。ヘビメタだって100年もすればクラシックです。

「水からの伝言」の主宰者は、これは科学ではなく「ポエム」であり「ファンタジー」だと主張しているようですが、そうであればもっと優れた「ポエム」も「ファンタジー」もたくさんあります。わざわざ、こんなものを選んで教材にする必要があるとは思えません。今回、色々と検索をしていて一番驚いたのは、「オノ・ヨーコからのクリスマス・メッセージ」です。これがいつ書かれたのか分かりませんが、なんとも言えない気持ちになります。「ファンタジー」で、もしこんな世界があったら素晴らしいだろう!って言うのなら分かります。そんな世界観を作品として表現するなら理解出来ます。しかし、「科学者が・・・・」と言ってしまっているのです。
「アート」は「ファンタジー」の中に存在するものではなく、「ファンタジー」が「アート」のひとつの要素にすぎないのです。
表現には自由があり、様々なアーティストが日々活動しています。そして、人類の長い歴史の中で築き上げられてきました。このオノ・ヨーコ氏の一文は、そんな人類の叡智の結晶を、一瞬にして葬り去ってしまうのではないかと思えてしまうのです。

田崎先生の文章への反論も見つけました。どうもその筋では、有名な方らしいです。はなはだ主観ですが、田崎先生の文章と比較すると、まったく美しくありません。レイアウトも稚拙で、イラストも酷い。このサイトは、ほぼ全ての記事が批判文だけで成り立っています。

ここまで書いてきましたが、うまくまとまりませんでした。時間も遅いので、後日もう一度チャレンジしてみたいと思います。
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こんなことに時間をとられてしまってはまずい!応援よろしくお願いします。

投稿者 corvo : 2006年11月24日 02:00

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このリストは、次のエントリーを参照しています: 「水からの伝言」まとめ:

» 「水は答えを知っている」科学?神秘? from かたちのココロ
わが居住地域も、昨晩今年初めての積雪になりました。やっと冬将軍の到来です。11月 [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年11月25日 20:58

» 週刊ネットワイド23
「水からの伝言」で炎上続き6年
from デリセン
「週刊ネットワイド」ではブログ炎上などネット界の噂話を、デリセンのパトロール部隊がお届けするインターネットのワイドショー番組です。 [続きを読む]

トラックバック時刻: 2007年03月08日 15:08

コメント

ご無沙汰してます。最近何かとバタバタしてしまって
毎日のぞきに来ているものの、ゆっくりと皆さんのコメントが
読めずに居たんですが、先ほど「水からの伝言」の件に関する
コメントを読ませていただきました。

「水からの伝言」が世間で話題になってるのは知ってましたが、
ぶっちゃけると、僕は大した問題だとは思ってませんでした。
授業で使うのは確かに愚かだなとは思ってましたが、
それにも勝る愚かな授業はいくらでも存在すると思いますし
僕自身も小学校の頃にも身に覚えがあります。でも今の自分が
その授業によって本質的に汚されたとは思っていません。
非科学的な美談は今よりも過去の方が多く存在すると思うので、
この程度(といったら語弊がありますが)の「お話」が教育に
利用されるのは学校であれ社会であれ日常茶飯事だと思います。
と、いうのが、僕のこの問題に対する第一印象です。でも
corvoさんやみなさんの文章を読ませていただいてたら
いろいろと考えさせられました。

科学的な事実と、精神的な美談とどっちが大切か、というと
教育という目線で言えば、どちらかに偏るというのが
一番ヤバいんではないでしょうか。
美談というのは、常に善悪が表裏一体ですし、科学でも素人が
すべてにおいて万能であると思うのは危険かもしれません。
「これが善だ」「コレが真実だ」と固定された教育というのは
常にどこかに矛盾を生じさせると思います。そういった授業は
子供にとっては苦痛です。矛盾を清算する術が無いと
自己処理しきれずに、そのままストレスになります。

本来、多少非科学的な美談を、道徳の授業や授業外の場面で
先生から生徒に紹介するのも良いでしょうし、
科学的な事実をストレートに伝えるのも良いと思いますが
根本的に、それらを処理できるだけの余裕が今の子供には
不足してると思います。僕の小中学生の頃を思い出しても
そんな気がします。  話題から大きく外れたでしょうか。すみません。

で、「水からの伝言」ですが、今更僕が言う事は無いのですが
僕も「おかしい」と思います。現実的に授業で紹介するのも
間違っていると思います。
でも、僕は子供達には、こういう「お話」を自分なりに
うまく処理できる術を身につけて欲しいと思います。
まぁ、生きてれば、それは自然に身につく事だと思いますが、
生きていくという大前提が揺るいでいる現在の子供の環境は
なんとかしないといけないですね。


長々と失礼しました。

投稿者 SHINZEN : 2006年11月24日 04:54

「水からの伝言」を宗教だとは言いませんが、信じ、押し付けてくるようになって来ると頂けませんね。
信じる、信じないは個々人の自由、それを右へ倣えさせるのは、教育現場が嫌っているはずの戦前戦中の教育と大差ないと思っています。
この問題は、自分に信ずる根っ子のない人たちが縋り付く「蜘蛛の糸」にしか見えません。

投稿者 チョビ之助 : 2006年11月24日 10:44

あーあ。

教師は「何故教師がバカにされるか?」のメカニズムについて考えるべきだと思うんですけど。この授業のせいで「先生はデタラメをいう事があるから気を付けろと」子供に教える親が増えると思うんですけどね。

投稿者 アイスストーン : 2006年11月24日 10:53

今回の話題では、「水伝」のようなモノについてさえ、
いろんな言いぶんがあることがわかり、勉強させていただきました。
これだけの濃い議論があっても荒れないのは、
あらゆる意見に対し真摯に応じるcorvoさんの人徳の賜でしょう。

だけどひとりの母親としてはど~しても、こう思ってしまいます。
子どもにわからせたいのならわざわざ水の判断を通さずとも、

「自分が言われてイヤなことを人に言っちゃいけません」
「自分がされたらイヤなことを人にしてはいけません」

これでオッケーではないのかと。

投稿者 yoiko : 2006年11月24日 13:16

「水伝」が面白すぎるのでチョット調べました。

第10回日本トンデモ本大賞レポート
http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no55_20010925/special1_08-body.html

もう20年ちかくヘヴィ・メタルを聴いている僕の子供が学校でいじめられないか心配で心配で夜も眠れません(笑)

色々調べると歌詞が判定基準らしいですが、例えばクリスチャン・メタルとその違いを水は判別してくれるのか凄く関心があります。
アメリカのCDにはPMRCという団体が圧力を掛けて貼らせた「Parental Advisory」ステッカーというのがありますが、水に音楽を聞かせてその可否を判定させればバッチリですね。

投稿者 アイスストーン : 2006年11月24日 19:07

もともとcorvoさんが否定的なので、それをさらに否定するのは
アウェーになるだろうと覚悟して発言したのですが、
見事なまでに完全アウェーになってしまいましたね。

「まとめ」ということなので、これ以上新しいことは書きませんが
三つだけ書きたいと思います。

一つ目
私たち教員のほとんどは、いじめをなくしたいと思っています。
「きれいな言葉」に温度差があって、
いじめをなくすために有効な手段ではないということは、
まあ、人それぞれだなと思います。
しかし、悪い言葉、例えば「バカ」などの言葉を使っている限り、
いじめは絶対になくなりません。
私は「絶対に」ということはめったにないと思っているので、
この言葉はほとんど使わないのですが、
この件に関しては例外です。
「バカ」などの悪い言葉を使っている限り、いじめは絶対になくなりません。


二つ目
そもそもの始まりが「否定すること」から入っているので
仕方のないことかなとは思いますが、
私がこの議論を通じて否定される方々に期待していたのは、
いじめや自殺をなくすために具体的にどうしたら良いかということです。
一つのやり方を否定するのは簡単なことです。
でも、私たちはそれはやっていけません。
「自分たちで考えるのが仕事だ」という方もいらっしゃるでしょう。
ですから、考えました「水伝」の使い方をです。
考えたものを否定するのですから、
それに代わるものを誰か具体的に提案してくださる人がいるのではないか。
そう期待したのは間違えだったのでしょうか。


三つ目
どんな職業でもやるからには結果に誇りを持つものだと思います。
絵を描く方は、描いた絵を世に出す時に誇りを持って出すでしょう。
私たちの場合は、それが授業です。
それが他の方から見れば「思い込み」なのかもしれません。
でも、「誇り」という「思い込み」をなくしたら、
どうやって仕事を続けていけば良いのでしょうか。
もちろん、反省はします。
上手くいかないこともしょっちゅうです。
もちろん、失敗したり批判があったりすれば改めます。
しかし、授業をしている最中は誇りを持ってやっています。
誇りがなかったら、生徒からバカにされてしまいますから。


書きっぱなしになりますが「まとめ」ということなので
この議論に関して今後何か書くことはもうありません。
他のブログや2チャンネルのように感情的な議論にならなかったことを
感謝します。

投稿者 アンクルディノ : 2006年11月24日 19:12

アンクルディノさん

こんにちは、今更ながらすみません。
「二つ目」に対して僕なりに考えてみました。
いじめをなくす方法と、水からの伝言とは、少し議論の場が
違うんじゃないかなと思ってしまいます。
いじめに関しては、大人が学校現場の目線だけで考えても
解決には向かわないと思います。きつい言い方ですみません。
(好戦的に書く気はないのですが、お気を悪くされないでください。。)

学校でどういう授業をするかは、ソフトの問題であって
ハードが変わらない限り同じ事の繰り返しなんだと思うのです。
なので「水からの伝言」というソフトをどうしようが、僕は
「大きな問題ではない」と思ったんです。(ただ、ウソはいけないなと。)
学校に限らず、いじめという問題はどこの場でも起こると思います。
学校でいじめられて自殺を考える子は、自分の居場所を学校の
中でしか考えられなくなっています。逃げる場が「あの世」だけに
なってるんだと思うんですね。他にも逃げ場があれば・・
もし、大人が会社なんかで深刻ないじめにあった場合、
「辞めてもいいじゃん、しかたないじゃん」というのが可能ですが
子供、特に義務教育中の小中学生の場合そういう選択肢って
ほとんど無いですよね。
よく「いじめられる子は弱い」と言う方を見かけますが、ホントは
「弱い」というのは、その子の精神や本質が弱いのではなくて、
周りの人間に弱い立場に追いやられてるからなんですね。
極端に弱い立場に追いやられると、「耐える」か「逃げる」
っていう2つの方法しかなくなります。手も足も出ないんですから。
家庭でも塾でもなんでも良いんですが、子供が「弱い立場」から
開放される場が無いと手も足も出ないまんまだと思うんですね。

学校以外の場も教育の現場だと、社会が認知する事で、
学校で不都合が生じ、その場に耐え切れない時、「死」を選ぶ
子は減るんじゃないでしょうか。ひいては、いじめ問題を含む
沢山の教育に関する問題点で、現在学校が負担してる部分の
軽減にもなるかと。学校や教師にも抱えられるモノの限界が
あると思います。

学校現場の先生方がご自身の授業に誇りをもたれることは
すばらしいと思います。アンクルディノさんにも是非これからも
頑張って欲しいと心から思ってます。
学校以外の場所でも、アンクルディノさんのように子供に対して
愛情をもって接している大人がたくさん居ます。
いろんな人たちが連携をとって子供の育ちの場を豊かに
出来る土壌がもっと広がって欲しいなと思います。
それは、学校の先生の自信や誇りを崩壊させる事ではないと思います。

またまた長々と失礼しました(こればっか。。)

投稿者 SHINZEN : 2006年11月24日 21:20

イジメられっ子として育ってきた者から言わせて下さい。

悲しい事ですけど、「イジメ」は無くならないです。
自分と異なるもの、何らかの形で周囲と異なるものを
「イジメ」の対象にします。
社会に出ても形を変えて「イジメ」は続いていきます。

「弱いもの」を作り出すことで、自分の優位性を誇示することで
人は安心感を覚えるんです。

ただ、どんなに「イジメ」られても死を選択することだけは
避けて欲しいことを教えてあげて欲しいと思います。
それは「イジメ」に負けることであり、自分の命を賭けるほどの重みは
全く無いんだと言うことをしっかり教えてあげて欲しいです。

何かまとまりのない文になってしまいました。すいません。

投稿者 かずごん : 2006年11月24日 23:41

アンクルディノさん、アウェイトかホームとかではなく、少し考えて頂けませんか?「死人に口無し」ではなくファンタジーの「お水様に口無し」に対して。

>そもそもの始まりが「否定すること」から入っている
決め付けは良くないですよね、同意します。だからこそ、水伝の決め付けには憤慨します。言葉づかいの良い悪いはともかく、音楽の決め付けはどう思われますか?ヘビメタが悪いとお水様が判断する理由は何でしょう?
20年前、アメリカでオジー・オズボーンは黒魔術を使い、歌のサブリミナル効果によって少年を自殺させたというトンデモな言い掛かりを受けた事があります。当然それは事実無根でした(なお今現在彼は「オズボーンズ」でお茶の間の人気者です)。教師にヘヴィ・メタル愛好者はいないのでしょうか?まさかマイノリティはいじめられるから自分を主張出来ないとか、そんな事はありませんよね?アメリカでのメタリカのセールスはご存知ですか?そう言えば彼等は以前オーケストラと競演した事がありましたが、ヘビメタがクラシックと融合したら、お水様が作る結晶はクラシックですか?ヘビメタですか?所詮ファンタジーを作った人間の価値観により物事の表層で善悪を決め付け、閻魔大王の如く水のお告げとして善悪を決め付ける事に何も疑問を感じませんか?

それに言葉づかいが全てですか?言葉づかいが悪い良い子や言葉づかいは良いけど実は…な子供はいませんか?「金八先生」の話では言葉づかいで良い子と悪い子が分かれてたんでしたっけ(僕は興味が無かったので見てないから分かりません)?

>人に「わるい言葉」を使うと、体の中の水が影響を受けてしまう
今は亡き僕の父は酒乱でした。幸い暴力や言葉の暴力を受ける事は余り多くはありませんでしたが、物に当たる様や威嚇される様を見る事は多々あり子供の頃の精神的苦痛は結構あったような気がします(何故「気がします」かと言うと、体が記憶を切っているらです、兄弟や母親に言われて昔を思い出す感じです。「人間、本当に苦痛を感じると記憶を消そうとするらしいぞ」と弟に言われて悲しくなった事があります)。
現在ワケありな家庭の子供はいないのでしょうか?家に帰ったら親に汚い言葉を受けつづける家庭はいないのでしょうか?「汚い言葉で体の70%(水が)悪影響を受ける」と教わってしまったら、「水はモノなので、自分の努力ではその悪影響をどうやっても回避出来ない」と解釈する事になるんじゃないでしょうか?僕は家庭の色々な理由で耐えざるを得ない事が結構ありましたが、それに耐えられたのは自分が自分であったからであって、「自分は70%の自分ではコントロールできないお水様で構成されている」と教わってたら、今この世にいるかチョット自信がありません。己に対して他力本願的な要因を植え付ける道徳で良いと思いますか?

僕には「偽りの善」にしか見えません。

投稿者 アイスストーン : 2006年11月25日 00:06

連投スミマセン、書きます。

まさかとは思いますが、水伝道徳は

「水が傷む」

という事に触れてはいるようですが

「人の心が痛む」

という事には一切触れてない、なんて事はないですよね?

水伝授業は生徒の食い付きに特化しているように見うけられます。余りに面白いので自動車のオイル交換のように「人間の70%が水だとしたら、もし水が傷んだらそれを傷んでない水に交換すればいいだけ、実際に人間で中の水が傷むかどうか試してみよう」なんて突拍子も無い考えを思いつく子供がいない事を祈ります。

心を物に喩えるのは容易では無いと思います。

投稿者 アイスストーン : 2006年11月25日 00:34

今日は朝から非常勤講師の日だったので、レスが遅くなりました。まとめて書いています。

>SHINZENさん
どうも、ご無沙汰しています。
僕はこの問題を初めて知ったとき、ずいぶん稚拙な話だなあと唖然としました。別の場で出た話なのですが、「科学」かどうかというだけでなく、芸術などの表現に対しても大きな影響があるのではないかということです。それというのも、この水伝の主宰者は「これは科学ではない。ポエムやファンタジーである」と主張しています。それらは表現活動に深く関わってくる部分です。
科学者以上に、表現に携わる僕のような人間のほうが、ずっと悪い影響を受ける可能性があるとも言えます。
こういったことを、自分の判断で見極められるようになることが、大事なのだと思います。

>チョビ之助さん
水伝にまつわるものは、きわめて新興宗教的ビジネスモデルに近いのではないかと思っています。荒唐無稽な話をまず信じてもらわなければ、何も始まりません。
「信じるな」と強制することは出来ませんが、科学的に正しく理解しようとすれば、自ずと答えは出てくるものだと思います。
こんな「蜘蛛の糸」にぶら下がろうとしても、愚かな結果しかないと思うのですが。

>yoikoさん
まっとうに考えれば、こんなものに色々な言い分があることさえ不思議に感じます。
僕に人徳なんぞありません。俗な人間です。ただ、書いてもらったコメントに対しては必ず返事をすることを決めています。どんなに非礼な書き込みであっても答えますし、削除しません。そのみっともない書き込みは、必ず残って行きます。ちょっと話がそれました。

>「自分が言われてイヤなことを人に言っちゃいけません」
「自分がされたらイヤなことを人にしてはいけません」

それだけのシンプルなことなのだと思います。
「水」に判断してもらうなて、まっぴらごめんだし、願い下げです。「水」に判断してもらって喜んでいる人間がいることが不思議でなりません。

>アンクルディノさん
この場は僕のホームなので、すべてのコメンターの方がアウェーです。
だからといって、僕がコメンターの発言をコントロールしたり、皆さんが僕の顔色をうかがって、コメントしているとは思いません。
今回「まとめ」としましたが、あくまでも一区切りということで、この議論がここで終わるわけではありません。

一つ目について、
「きれいな言葉」が「いじめ」を無くす効果があると思われる根拠はなんですか?
「バカ」などの悪い言葉を使っていると、「いじめ」が無くならないと考える根拠はなんですか?
僕は関西の出身です。関西では「バカ」ではなく「アホ」が日常的に使われます。これは、もう本当に挨拶のように「アホ」を使います。親子でも使います。毎日、言い合ってます。
「アホなこと言うとったらあかんでえ」「アホやなあ、いいかげにしとき」こういった使い方は日常茶飯事です。
>「「バカ」などの悪い言葉を使っている限り、いじめは絶対になくなりません。」
どうしてそう思われるのか、分かるように解説してください。

二つ目について
SHINZENさんも指摘していますが、そもそも僕がこの場で問題提起したのは、「水からの伝言」が及ぼす悪影響についてであり、いじめや自殺をなくすにはどうすれば良いかということではありません。どこかで勝手にすり替えていませんか。
だから、多くの方が「水伝」は信じるに値しないニセ科学であるという判断のもと、「いじめ」を助長することはあっても、無くす効果はないと書き込まれたのです。
前回のエントリーでも何人かの方が、アンクルディノさんに質問をしています。「いじめを助長する事はあっても、無くす事はないと思いますが、その点をどうお考えですか?」と。この点についてもお答えいただきたいと思います。
どうしてわざわざ「水伝」を使おうと、考えたのですか?
ここまで多くの人が悪影響を指摘していても、それほどまでに魅力的な素材なのですか?僕には理解出来ません。

三つ目について
僕は作品を世に出すとき、不安だらけです。
作品を作る行為や、生き方に自信や誇りをもつことはあっても(それですら、しょっちゅうぐらぐらする)、結果については受取手があってのことなので、誇りということはあまり考えた事がありません。
この点については、僕はあまり考えを整理出来ていません。

>書きっぱなしになりますが「まとめ」ということなので
この議論に関して今後何か書くことはもうありません。

ということですが、僕は一区切りと思っただけで、この議論を終わりにするわけではありません。これまでの質問答える事なく、「書きっぱなし」で幕を引くのは「卑怯」と思わざるをえません。
このエントリーでアイスストーンさんも質問されています。是非、答えていただきたいと思います。

>SHINZENさん
僕の考えていたことを、おおよそ代弁してもらってありがとうございます。
いつから「水伝」のことが「いじめ自殺」問題にすり替わってしまったのか不思議です。

>アイスストーンさん
僕は音楽について造詣が深くないのですが、面白いです。
学生時代にオペラの舞台美術をやっていたこともあって、多少モーツアルトのオペラは聴いていたのですが「コジ・ファン・トゥッテ」なんて本当にくだらない話です。ある兄弟が変装して自分たちの恋人の前に現れて、お互いの恋人を入れ替えて口説くとどんな結果になるかなんて話です。きれいな結晶はできないのでしょうね。「ドン・ジョバンニ」のカタログのアリアは、ドン・ジョバンニの従者レポレッロの独唱で、主人がこれまでいったい何人の女性をたぶらかしてきたかを、歌い上げる有名な曲です。これもきっときれいな結晶はできないのでしょう。

>「人の心が痛む」

という事には一切触れてない、なんて事はないですよね?

どうでしょう、分かりません。
ひょっとしたら触れていないかも。本を買って、書いている訳ではないのでアンフェアだなという思いもあるのですが、道徳授業に使おうとする教師には、人の心が痛むという視点が抜けているように感じます。
 学校の授業で教材にするなんてもってのほかであるという意見に変わりはありません。
心と物はわけて考える方ことが大事だと思います。
オイル交換みたいに、体内の水分交換治療なんていうのは、いやですね。

投稿者 corvo : 2006年11月25日 01:46

corvoさん
「これは科学ではない。ポエムやファンタジーである」という点、
なるほど確かに考えるべきポイントですね。
「この水伝がそうだ」と言うわけではありませんが、
クローンを作る時や、脳死者の臓器を扱う際、科学者医者等、
専門家に「倫理」が問われるように、表現を生業としている者に
も倫理なりモラルが問われて当然だと思います。
まして、教育等、他者の成長や発達に関わる場合には
特にそうかもしれませんね。
ファンタジーの名の下にウソを広める事、アートの名の下に
犯罪をあおる事、科学の名の下に命を粗末に扱う事、
教育の名の下に人を操る事。実はよく似た問題かもしれません。。

「草花を育てる時、優しく声をかけるとキレイな花が咲く」
というような話は昔から語り継がれてきてますが、この水伝も
本来、こんな世間話をアレンジした物語だったんでしょうか。
僕もこの「水伝」なるものの中身はほとんど知らないので
本来語るべきではないと思いますが、皆さんのコメントを拝見して
いろいろ考えさせられました。

投稿者 SHINZEN : 2006年11月25日 02:58

この「水伝ーー」についてのやりとり、ひとりの母親としていろいろなことを考えさせられました。
みなさんが真剣にコメントをされていらっしゃるので、言葉の重みが伝わってきます。

オノヨーコさんのクリスマスのメッセには、驚いたりがっかりしました。

投稿者 ren : 2006年11月25日 06:01

>SHINZENさん
表現者のモラルは、バランスとして非常に難しい部分もあります。
なんでもかんでもモラルで縛ってしまうと、表現の自由の問題にも触れてきます。
でも、今回のは論外だと思います。もう一つ問題なのは、オノ・ヨーコ氏のような社会的に影響力の大きい人物が広告塔のようになってしまっていることです。
このあたりも新興宗教的だなと思います。

>ファンタジーの名の下にウソを広める事、アートの名の下に
犯罪をあおる事、科学の名の下に命を粗末に扱う事、
教育の名の下に人を操る事。実はよく似た問題かもしれません。。

その通りだと思います。
科学者からだけでなく、表現者の側面からも、発言していく必要があると今回強く感じました。

>renさん
お子さんをもつ親御さんには、今そこにある危機なのだと思います。いつ降り掛かってくるか分からないですよね。

>オノヨーコさんのクリスマスのメッセには、驚いたりがっかりしました。

これには唖然としました。科学で分かったと言い切っていることが、大きな問題です。多く人が指摘されていますが、ポエムやファンタジーとしても、決していい話ではないのです。

僕は表現者として、きちんと発言していく必要があると思っています。

投稿者 corvo : 2006年11月25日 10:36

>corvoさん

まったくです、滑稽です。アートに対して水を盾にした偏狭で語って貰いたくありませんし、その偏狭さを二次利用して貰いたくもありません。オペラはアートと呼ぶのは当然ですし、ヘヴィ・メタルは商業的見地が前提に立っていても、実はれっきとしたアートなのです。自分の子供には、そんな演奏者と、例えばそれを聴く父親である僕を否定するような偏狭な人間になるような事が無いよう、広い目で物事が判断できる人間になってもらいたいです。

「偏狭によってレッテルを貼る」という行為は道徳授業ではあきらにマイナスです。

そういえば実はcorvoさんの恐竜じゃない絵を見て、Black Sabbathの Cross Purposesというアルバムのカヴァーを思い出すのですが、そのアルバムの音楽は駄作なので(苦笑)、同じBlack SabbathのHeaven & HellのCDを探して来て聴きました。1980年作の「クラシック アルバム」です(実は古いロックアルバムの名作には、この呼称が使われています)。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000002KKS
で、久しぶりに聴いてカッコいいなと思ったのが6曲目の"Die Young"(笑)、「死ね」じゃなくて「今を生きろ」って事みたいですけどね。何でもそうでしょうけど、歌詞には直接的なだけでなく、ダブルミーニングだったり、遠回しな言い回しで聴き手のイマジネーションに作用させる事が多々あると思います。

善悪の区別とレッテル貼りは違います。今回の件は音楽に限定されているようですが、偏狭な知識で職業や人格に貴賎や差別を作るような教育が氾濫してない事を祈ります。例えば「骨とかカラスとか黒猫とか好きな人は黒魔術をやっているに違いないから近づくな」とか(corvoさんオチに使ってスミマセン:笑)

投稿者 アイスストーン : 2006年11月25日 11:03

>アイスストーンさん
水に判断されたアートなんて!って思わない人が多いのでしょうか。
不思議です。

>「偏狭によってレッテルを貼る」という行為は道徳授業ではあきらにマイナスです。

まったくその通りだと思います。僕自身、「芸術家」というレッテルを貼られることが多いですが、多くの場合不快な気持ちになります。

Black Sabbathは聞いた事がないので、ポチット注文してみました。楽しみです。実は僕が大好きなのはDoorsです。

骨が好きで、カラスはこのblogや自分のスタジオの名前にするほど敬愛しており、黒猫が飼いたくてわざわざネットの里親募集で探し、地下室で毎日制作しているのは僕です。
言葉で書くと、見事なほどに怪しい人ですね。

投稿者 corvo : 2006年11月25日 11:38

corvoさん こんにちは
トラックバックをさせていただきました。
実は、私は「水への伝言」の内容を仮説としてはありうるかもしれないと思った時期もありました。TVで放映されたことがあって、そのときは「汚れた川の水」と「浄水後の水」で結晶の違いがある、という内容でした。その後本を購入して読んでみると、これはとんでもないと分かりました。
こんなインチキがある、という取り上げ方ならまだしも「道徳」で取り上げるなんて何を考えているのかという気がします。
corvoさんのコメントの中に「汚い言葉の排除」に対する抵抗が読み取れますが、私は賛同します。「きれいな言葉」だけになった世界でも「いじめ」はなくなりませんし、その世界の「いじめ」はとてつもなく陰湿になるような気がします。言葉によるいじめに対して、言葉を禁止するやり方は、風邪で発熱した子どもに安易に解熱剤を投与するやり方に似ていると思います。
影があるから光もある、影のない世界には私は住めません。

投稿者 SUBAL : 2006年11月25日 12:50

スミマセン、脱線します。
>corvoさん

"Doors"を持ってます。近所の新品/中古CDを扱う店でThe Whoの"Who's Next"と一緒にジャンクCDとして1枚¥100で買いました。別に再生面が傷んでいる訳でもなくむしろ綺麗な状態な名盤たちにこんな値段を付ける店に対して呆れつつも遠慮無く買わせて頂きました。

車の中で聴いてたら7分の曲の途中で飽きたのとThe Whoの方が掴みが良かったので、そっちをずっと聴いてて放置してたのですが、話題に挙がって丁度いい機会なので今日来た上の子供の机の置場の準備の合間にヘッドフォンで聴いてみました。これ結構面白いですね。
カテゴリーはサイケになるのかもしれませんが、オルガンやドラムを聴く限りジャズのインプロヴィゼーションっぽいし、最後の曲ではシタール弾いてるし。で、ジム・モリソンのニオイから真っ先に思ったのは、「ああ、彼がコリー・クラークに影響を与えてたのか」と。コリーは僕の最も好きなアルバム"Last Decade Dead Century"を出したWarrior Soulというバンドの中心人部です。音楽的には似ても似つかないんですけど、Doors(というかジム)に源流を感じる事が何とも面白いです。夜ひとりでゆっくり聴いてみようと思います。

投稿者 アイスストーン : 2006年11月25日 15:07

orvoさん、こんにちは。

>「水からの伝言」の主宰者は、これは科学ではなく「ポエム」であり「ファンタジー」だと主張しているようですが、

これは、その場しのぎの言い逃れに過ぎないと思っています。
証拠のひとつとして、物理学会でも発表をしております。(つまり科学として受け入れてもらいたいとも思っている)
 http://www1.odn.ne.jp/shishakamo/kagaku/06butsuri-3.htm
(もっとも、物理学会では散々な結果だったそうですが)
 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1159008489

その目的は、科学と非科学がわからず混乱している人たちに、波動測定器なるものを売り込むことだと、私は思っています。(189万円)
 http://www.hado.com/shopping/kiki/hado-r.htm

投稿者 あんねりあん : 2006年11月25日 21:54

すみません。お名前の c が抜けておりました。
お詫びして訂正いたします。

投稿者 あんねりあん : 2006年11月25日 21:56

>SUBALさん
どうもトラックバックありがとうございます。
不純物が混じったものと、蒸留水では違いがあるのかもしれませんが、言葉となると全く因果関係がありませんよね。
言葉の美醜は単純なものではないです。文脈の中で、その単語がどう使われるか、それによって良くも悪くもなるでしょう。色彩であっても、鮮やかな色だけでは絵は描けません。単色で見れば美しいとおもえない色も必要です。

>影があるから光もある、影のない世界には私は住めません。

僕もそんな気持ちの悪い世界には住みたくありません。

>アイスストーンさん
おお、100円ですか。安いですね。Doorsのファーストアルバムは名盤の一つだと思います。7分の曲ということは、おそらく"light my fire"ですね。長〜いインストゥルメンタルが間に入るので飽きちゃいますよね。でも、最後の"the end"なんて10分以上あったと思います。映画「地獄の黙示録」でも挿入歌で使われていました。このバンドにはベーシストがいないです。ベースラインは電子オルガンです。たまらなく好きなのです。
コリー・クラークは知りません。聴いてみようかな。

>あんねりあんさん
こんばんは。

>これは、その場しのぎの言い逃れに過ぎないと思っています

僕もそう思うのです。僕の守備範囲は科学ではないので、「ポエム「や「ファンタジー」のほうに突っ込みを入れていく方がやりやすいかなと思っています。
これまで科学者からの反論は多くなされていますが、芸術家からは「とんでも」を補強するような発言はあっても、反論がほとんどなされていないと思います。
これはまずいです。
かつては日本古生物学会でも、「とんでも」発表がされてしまったことがあるようです。
この波動測定器って、どれぐらい売れているのでしょうね。たくさんの人が買ったとすると、詐欺事件に発展しそうな値段です。

投稿者 corvo : 2006年11月26日 00:54

アンクルディノさん、先のエントリである

http://www.studio-corvo.com/blog/karasu/archives/2006/11/post_248.html

に書き込んである、私(念波と申します)のコメントを読んでみてくださいませんか。実はそのコメントは、どうしてもアンクルディノさんに読んでいただきたいと考えて、書いたものなのです。

「では、具体的にどうしたらよいのか」とのことですが、それなりに具体的に書き記したつもりでおります。

学齢にはまだ達しておりませんが、一児の親として、学校教育にも「いじめ」にも強い関心を持っております。だから、私なりに真摯に書きました。

結論だけ、このコメントでも繰り返させていただきますと、

「社会生活を送る限り、権力や権勢を求める心理、他者への攻撃性、ないし悪意が消え去ることはなく、だから『いじめ』も無くなることはあり得ない。だから、『いじめ』は常に起こるという前提で、対立や軋轢の緩和の方法、他者への許容や寛容を、子供に教えて欲しい。」

「いじめ」が起こったときは、それを教える好機だと思います。

軋轢も暴力も権勢もこの社会には常にある。だから、「惨すぎる」事態を回避する方法をこそ、知っておく必要がある。そう思いますし、集団生活の場である学校では、家庭よりもそれを行いやすいと思います。

アンクルディノさんのご意見も、伺いたいところです。今の学校について、私も知りたいからです。

投稿者 念波 : 2006年11月26日 01:28

見ました、見ました!あれぁ、すごいイラストだわ。腹がよじれるほど、笑ってしまいました。文章の陰険さとの落差が、ナイス組み合わせなんですね!漫才みたいでした。
ヨーコ・オノの方は、まぁあんなもんかなって。
自分の影響力に自信がなくなってくると、思わず力ずくで、同意させちゃおうとするんですよね。私も、よくそれやって失敗してます(笑)。

投稿者 失敗だらけだフニャ : 2006年11月26日 01:37

>念波さん
アンクルディノさんには、きちんとコメントしてほしいですね。
僕からもお願いします。

>失敗だらけだフニャさん
そんなに面白かったですか。
ああいった手合いというのは、ほんとうに美意識にかける人が多いです。優れた研究者は高い美意識を持っているので、あのような稚拙な表現はしないですよね。プレハブのなかで長机とパイプ椅子並べて、がんばっているような感じです。
表現者からの同意の押しつけは、ときに暴力になるので気をつけなくてはいけないと思います。
もともとオノ・ヨーコというのは、実体の見えないアーティスト(本当にアーティストなのかな?)だと思っていたのですが、この一件でますますその印象が強くなりました。
科学の方向からは研究者に任せて、僕は表現者の立場から突っ込んで行きたいと思います。

投稿者 corvo : 2006年11月26日 02:52

私もその本を読んだことがあり、リンクを巡って斜め読みをさせていただきました。
私は水に対して言葉をかけたところで結晶の成長に影響があるのかどうかは疑問ですが、可能性はゼロでは無いと思っています。
ただこの実験を行われた方も条件の記述が不足しておりますし、さらに裏付けも甘い気がします。
こちらの文書の後半には「文章が美しくない」ですとか「レイアウトが稚拙でイラストも醜い」などとありますが、それは話の筋から大きくはずれた話で、その部分を批判するのはいかがなものかと思います。
レイアウトに関していえばCUI環境では全く関係のないものですから。

私はこの件に関しましては否定も肯定も出来ないことだと思っております。

投稿者 たけ : 2006年11月26日 02:56

>たけさん
初めまして、コメントありがとうございます。

>私は水に対して言葉をかけたところで結晶の成長に影響があるのかどうかは疑問ですが、可能性はゼロでは無いと思っています。

可能性は限りなくゼロです。
どういった点に可能性を感じられるのでしょうか?
水に視覚、聴覚、記憶力がなくては、「水伝」の実験は成立しません。

>こちらの文書の後半には「文章が美しくない」ですとか「レイアウトが稚拙でイラストも醜い」などとありますが、それは話の筋から大きくはずれた話で、その部分を批判するのはいかがなものかと思います。

これは「水伝」の書き方を批判したものではなく、田崎教授の「水からの伝言を信じてはいけません」を批判しているサイトについてのコメントです。
ブラウザやOSの環境の違いによって、レイアウトが違ってしまう事は理解していますが、僕はそのことを問題にしているのではありません。
何かを人に伝えたり、説得しようとするときには、出来る限り自分の意図が伝わるように細心の注意を払うものです。
そういったデリカシーの感じられないもの対して、「美しくない」という印象を持ったのです。

僕は「水伝」に関しては、否定することしか出来ないと思っています。

投稿者 corvo : 2006年11月26日 03:18

スミマセン、またまた脱線します。
クリスマスツリー出しました。飾るより収納場所の前に置いてある荷物を出す方が大変でした。

Warrior SoulはたぶんYouTubeで見るくらいでいいと思いますよ。ジムからの影響と言っても、恐らく期待している物と乖離があると思います。アレが僕にとって意味が深いのは音楽単体だけでなく聴いた時期(1990年)もあると思います。あと聴いて疲れるアルバムなのも奨めない要因です。僕は最近のcorvoさんの構図がやや動的な印象を与えるようになったのは「長谷川効果」だと思ってますので、精神的に深く沈む込むような音楽は流石に奨めにくいです。
ちなみにコリー・クラークはMySpaceで確認したら、今は別のバンドでパンキッシュな事をやっているようです。

若い頃は「アルバムは最低でも10回聴け」という姿勢でしたが、最近は1回で決め付けちゃう事が多いのでマズイです。最近はカーオーディオでしか音楽を聴く機会が作れないので、Doorsのように1967年作、エフェクト一切無しだと、「音がショボイ」という決め付けで終わってしまう事があります。音を聴く前にアグレッシブな音だろうと決め付けた乖離も失敗の要因でした。そのせいでインテレクチュアルさに気付きませんでした、勿体無い。僕はDoorsは再聴してドラムが気に入りました、そしてオルガン。

やはり多少なりとも回数と根気が必要ですね。善悪を教える道徳だけに限らず。

そういえば、僕が先に「掴みが良かった」と書いたThe Whoの"Who's Next"はお聴きになった事はありますか?これは凄いです。1971年作だから古臭いだろうなと思い込んでたら裏切られました。たぶんドラムは本能で叩いてます。音数が多いとか音圧があるとかテクニックがあるとか無いとかではなく、とにかく凄いです。初めて聴いたときはビックリしました。amazonでは輸入版が試聴できるようです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00006BGX3
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002OX7

投稿者 アイスストーン : 2006年11月26日 12:35

>アンクルディノさん
対案もないのに否定するな,とおっしゃっているように見えますが,そういう論法は危険です。それではだれも平和を論じることが出来なくなってしまいます。
あと,他人に対案を期待なさるのであれば,そのように正直に問わなければ,だれも答えてくれません。「水からの伝言」は役に立つ教材であると主張してばかりでは,期待にそうような解答が得られないのは道理です。

踏まえて案というか意見を書きますと,まず「水伝」を授業で使うような先生方に言いたいのは,「話せば解ると思っていないか?」ということです。

大人ですら話しても解らない(あるいはわかった上で守らない)人間がいるのに,絶対的に社会経験のない子供に,話すだけで思想を受け入れることが出来ると考えるのは無理がありますし,危険でもあります。

喩え話をすると,「いじめは」よくないとか「汚い言葉を使ってはいけない」などのコンセプトを,生徒,つまりスタッフに口頭で伝えた後は,コンセプトがちゃんとまもらえれているかを,プロデューサーである教師が,常に確認しなければなりません。
なぜならスタッフは,あくまでも他人(自分ではないと言う意味)で,それぞれ独自のモノサシを持っているからです。
ことあるごとに限らず,ことなきときも確認と指導をし続け,そうして初めて当初のコンセプトどおりの作品(学級)が出来上がるわけです。

いじめ問題を難しくしている一番大きな原因は,その発見が困難なことでしょう。
コンセプトの伝え方をいくら工夫しても,スタッフの独走を発見できなければ,プロジェクトは必ず崩壊します。
どのようにしてスタッフの暴走を発見するかが,重要なのではないでしょうか。

投稿者 A-WING : 2006年11月26日 14:09

訂正
誤 「いじめは」よくないとか
正 「いじめはよくない」とか

投稿者 A-WING : 2006年11月26日 14:14

>アイスストーンさん
脱線、大歓迎です。
もうクリスマスの季節ですよね。うちにはクリスマスツリーがないのですが、あったら猫たちが悪さをするのでめちゃめちゃになってしまいそうです。
うーむ、なるほど。そうですね、長谷川効果かもしれません。最近、かなり疲れてきているので、音楽だけでもアップしておかないとまずいという自覚はあります。
Doorsはセカンドアルバムもいいですよ。
全部で確か7枚しかアルバムがないので、全部聞いても大した量ではないです。
やっぱり音はしょぼく聞こえてしまいますよね。
Tha Whoは全然聞いたことないです。ちょっと聞いてみます。
勉強になります。

>A-WINGさん
今回、僕は警鐘を鳴らすつもりで、二つのエントリーを書いたのですが、これをきっかけに使ってみたいと思う人が出てきてしまったことが、とてもショックです。
>アンクルディノさん
コメントお待ちしております。今一度、良く考えてほしいと思います。

投稿者 corvo : 2006年11月26日 18:26

2年ほど前にこの本を読んでます。
雪の結晶の美しい写真が多数紹介されていたので、写真集の感覚で買ったような記憶があります。

『ありがとう』とか『バカやろう』のことは、軽く流してました。
こちらのブログで学校教育の題材になっていることや、便乗商品を販売していることを知りました。

世の中には『まやかし』が多いということを教育するネタとして使ってほしいですね。

水をキーワードにまやかし商売をしている企業はとても多いです。
カーグッズなどもオカルト商品は多いです。
布団や医療器具はボッタクリが多いです。
騙す商売は世の中にあふれてますね。

『¥0』の広告を打ったら急激に顧客が逃げている携帯電話の会社も、それに近いと思います。

投稿者 ミヤモト : 2006年11月27日 00:25

>ミヤモトさん
やっぱり読んでらっしゃったのですね。
反面教材になるかもしれませんが、毒性が強いので扱い方を一歩間違えると、非常に悪影響が大きいと思います。
「水伝」の商品には、大変高額のものもあり、容易に購入して試験できないところがみそかもしれませんね。
カーグッズの燃費が良くなる系は、オカルト色が強いですね。
「水伝」をすぐに信じてしまうようだと、もっと悪意のあるもにも簡単に騙されてしまうかもしれません。
どんな理由があろうとも、学校教材で使うことはあってはいけませんね。

投稿者 corvo : 2006年11月27日 01:19

>可能性は限りなくゼロです。
どういった点に可能性を感じられるのでしょうか?
水に視覚、聴覚、記憶力がなくては、「水伝」の実験は成立しません。

私も怪しいとは思いますが実際に実験しているところを見ないことには100%否定することもできないと思うからです。

>何かを人に伝えたり、説得しようとするときには、出来る限り自分の意図が伝わるように細心の注意を払うものです。

まったくその通りでございます。
しかし、レイアウトについては問題にしてはならないと感じます。
むしろ、TextBasedBrowserのユーザには読みやすいと感じると思います。

>僕は「水伝」に関しては、否定することしか出来ないと思っています。

私も否定的です…

投稿者 たけ : 2006年12月03日 13:35

>たけさん
実験については、そういった事実があったと主張する側に説明責任があるので、確たる論文等が出てこなくては、否定するしかないです。

レイアウトについては、見た目の問題というより、編集の問題だと感じています。主張を述べるための順序が、非常に分かりにくく、論点が見えにくいと感じました。そういったこともひっくるめてレイアウトが良くないのではないかと、書いた次第です。

投稿者 corvo : 2006年12月04日 01:05

みなさんご無沙汰しました。
少し頭を冷やしていました。
すこし私のまわりの人間とも話もしてみました。
また、corvoさんからも促されましたので
「書かない」と言いましたが、書きます。


まず、「水伝」が「とんでも」であることについて。
数学的に証明ということを考えると、すべての反証に対して
科学的にきちんと反論できないものは、正しいと認められない、
ということをすっかり忘れていました。
ですから、「水伝」が科学的に正しくないと認めます。


次に、
多くの方が「良い言葉」の裏に「悪い気持ち」があれば、
それは悪い影響を与えることになる
と書かれていることについてです。
これについては、結論から言えば百も承知です。
小学校の5、6年から中学1、2年生にかけて、こういう言葉の使い方をする
子どもがとても多く目立つようになります。
それをみつけては注意するというのが日常です。


次に、「きれいな言葉を使えばいじめが無くなる」と私の書き込みを
理解された方がいらっしゃるようですが、
そうは書かなかったと思います。
(朝なので時間がなくてきちんと確かめられなくてごめんなさい。)
私の主旨は「汚い言葉を使っていてはいじめは無くならない」です。
きれいな言葉を使ってさえいればいじめが無くなるなんて
甘いことは考えていません。
微妙な違いを理解していただけるとうれしいのですが。

私たちは常にいじめと自殺と戦っています。
これを無くすために藁にもすがりたい気分です。
「水伝」の議論が始まったごく最初の頃に書きましたが、
もし良い案があれば、ぜひ教えてください。

(あ~あ、もう昨日問題になった変なサイトを作るような教員がいるから、どこに行っても話がややこしくなります。)


今、冬休み前でちょっと忙しい時期です。
そこで、申し訳ないのですけれど、私が答えなければいけないことを
まとめていただけないでしょうか > corvoさん
これだけ長くなったものを読み返して整理して考えて書き込む余裕が
今ありません。
いろいろとご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。

投稿者 アンクルディノ : 2006年12月05日 06:58

>アンクルディノさん

少なくとも僕の時代に限って言えば、いじめで問題なのは言葉づかいよりも、見た目を理由に、他人と違う環境、行動を理由にという要因が大きいと思います。

「水伝」は表面的には言葉の美しさを伝えていますが、言葉遣いの為に見た目で物事を判断する要因を作るリスクがあるのが問題だと思います。極端な言い方をすると「お前の見た目が悪いのは浄水器も買えないほど貧乏のせいで、体の水がおかしいからだ」なんて事すら出てきそうで怖いです。給食費未払いの他に親の収入が原因によるいじめの種を生む危険性です。

言葉が色々な意味で人を殺すこと、どうして言葉が人を殺すかを、その逆で生かすことを考えさせるのは難しいですね。僕も何か良い手立てがあるかチョット考えてみます。

投稿者 アイスストーン : 2006年12月05日 08:42

>アンクルディノさん

>そこで、申し訳ないのですけれど、私が答えなければいけないことを
まとめていただけないでしょうか > corvoさん

ということで、管理者として出来るだけリクエストに答えたいところなのですが、それはちょっと難しいです。このblogを読んでいただければ、今僕が置かれている厳しい状況を理解していただけると思います。
出来れば、ご自分で読み直して、書き込んでいただければと思います。

>次に、「きれいな言葉を使えばいじめが無くなる」と私の書き込みを
理解された方がいらっしゃるようですが、
そうは書かなかったと思います。
(朝なので時間がなくてきちんと確かめられなくてごめんなさい。)
私の主旨は「汚い言葉を使っていてはいじめは無くならない」です。
きれいな言葉を使ってさえいればいじめが無くなるなんて
甘いことは考えていません。
微妙な違いを理解していただけるとうれしいのですが。

この点についてですが、僕も含めて多くの人は「きれいな言葉を使えばいじめが無くなる」とは理解していません。
「汚い言葉を使っていてはいじめは無くならない」に、強烈な違和感を感じるのです。「汚い言葉」と「いじめ」には、それほど密接な関係があるのでしょうか。

何か良い代案を望んでいるのであれば、自らブログなりサイトなりを主宰して、意見を集約してはいかがでしょうか。もちろん、ここで議論していただいてもかまいませんが、難しい部分も多いと思います。

これまで、アンクルディノさんに対して、たくさんの問いかけがされています。子を持つ親御さんからの問いかけ、実際にお子さんが「水伝」の授業を受けてきた親御さんのコメントもありました。
是非、読み直してコメントしていただければと思います。

>アイスストーンさん

>少なくとも僕の時代に限って言えば、いじめで問題なのは言葉づかいよりも、見た目を理由に、他人と違う環境、行動を理由にという要因が大きいと思います。

同世代ということもあり、僕のときもそうでしたね。
言葉も時に暴力になりますし、大きな力を持つことがあります。だからこそ、言葉だけを問題にするのではなく、コミュニケーションの方法も含めて考えていく必要がると思います。

投稿者 corvo : 2006年12月05日 23:08

>アンクルディノさん
前にも書きましたが,私は,監督が重要だと思っています。
大風呂敷になりますが(可能かどうかもわかりませんが),たとえば教師と親が団結して人を増やすように上に要求するとか,目の行き届く人数にクラス人数を絞ってもらうとか,そういうことは出来ないんでしょうか?
結局は,先生自身の仕事が楽になるかどうかの話ですから,教師自らがそういう方向にも積極的に動いていいんじゃないかと思うんですが,どうでしょう。
あまり「人員増を要求して教師がストライキ」なんてニュースは聞かないので,こういうことを思ってしまうんですが。

投稿者 A-WING : 2006年12月06日 20:27

A-WINGさん、ご意見ありがとうございます。

人数を増やすのは常に希望していることなのです。
しかし、世の中は公務員削減に動いています。教員のみが増えることはまず無いと思います。
教員のストライキですが、公務員は法律で禁止されているので、できないのです。
東京都などでは、日の丸君が代問題で組合活動をしただけで罰則がきます。
さらに教員免許の更新が法律化されれば、どのようなことで免許の更新を拒否されるのか分かりません。
クラスの人数を減らす少人数学級だけが小学校低学年で実施されている数少ない有効手段というのが実情です。

投稿者 アンクルディノ : 2006年12月07日 18:20

うーむ,ますます教師がやりづらい世の中ですねぇ。少人数学級も,結局は子供が少ないから可能になっただけで,根本的な対策が出来ているとは言えませんね。

世間では,人材教育にコストがかかるからこそ,即戦力やパートタイムを求めるわけですよね。であるなら,学校教育には逆にお金をかけるのが自然だと私は思うんですけどね。
障害者支援法にしても,障害の重い人ほど負担が大きかったりして,ずいぶんと頭の悪い話が多いです。

あと,ストライキについてですが,義務教育ではちがうんでしょうか?というのも,私が高校生のころ(県立高校でした),教師のストで早く帰らされたことがあるんです。なんの要求でストだったのかわかりませんけど。

投稿者 A-WING : 2006年12月07日 21:07

>アンクルディノさん
組合以外の、政治的なルートというのはないものなのでしょうか。保守系の圧力団体とか、いわゆるロビーを実施できるチャンネルがあるなら、そこが使えると、いいですよね。

知人にも、30台半ばでいい加減うんざりして教師を辞めてしまった人がおります。お話を聞くにつけ、教師の皆さんをとりまく状況はろくでもないものなのだな、という気持ちにはなってまいります。

教員の数の問題にせよ、やはり根本は、「よりよい効果を期待するならそれに見合ったリソース(端的には、予算)を投入せよ」という、ある種凡庸な問題であるようにも思えてきました。でも、それがいちばん建設的な方針であるように、私は考えます。

投稿者 念波 : 2006年12月08日 11:34

コメントありがとうございます。
教育には高いコストがかかってもしかたがないと思います。予算をしっかり確保して、お金をかけてほしいと思っています。
教師の人数の問題もありますが、現状を見ていると本来、教師がやらなくてもいい仕事まで押し付けられているように思います。
ちょっとパソコンが得意だというだけで、学校内のシステム管理を任されてしまうということもあるようです。民間の業者に頼めば数百万円はかかるであろう作業を、公務員の給料と限られた時間のなかでやらされるのでは、たまったものではないでしょう。
こういった部分を見直すだけでも、教師はより教育に専念できる体勢ができると思います。

だからこそ、「水伝」などというどうしようもない物に、教育界が惑わされるようなことがあってがいけないのだと思います。
こういったものをきちんと排除できる倫理観がなくては、教育に対して社会の理解を得ることは出来ないでしょう。
だから、絶対に学校教育で使用してはいけないのです。

投稿者 corvo : 2006年12月08日 15:06

えーと、正直に書いていいのかな?

>私たちは常にいじめと自殺と戦っています。
>余裕が今ありません

戦ってるってなんだ?
例えば新聞記事から見て感じる教師への印象は、

・いじめを把握できない
・いじめを把握しても危機感が無い
・いじめを把握しても見なかったフリ
・横の繋がり、連携、ディスカッションが無い

そんなもんだと思いますよ。もし上記が該当するなら「私たち」の一般論は、戦っているフリにしか見えません。戦うというのは命懸けの時に使う言葉です。もしカッコつかで使っているならチョット嫌です。「まとめていただけないでしょうか」って他力本願的に書いている時点で「戦闘放棄かよ」というのが正直な感想です。

余裕が無いから、誰かが「いじめを把握する方程式」を構築しないとダメなんですかね、「水伝道徳マニュアル」みたいに。

どうすれば生徒の心理って分かるんでしょうね。どうすれば教師の苦悩って分かるんでしょうね、分かち合えるんでしょうね。どうすれば教師の職場環境って良くなるんでしょうね。

投稿者 アイスストーン : 2006年12月08日 23:43

>アイスストーンさん
どうぞ、正直に書いてもらってけっこうです。
問題はこの言葉が、アンクルディノさんに響くかどうか。

アンクルディノさん、これまでの「水伝」関係の全てのエントリーとコメントを読んで、その上でご自分の頭で考えたことを、ご自分の言葉で書いていただきたく思います。

投稿者 corvo : 2006年12月09日 01:45

『kikulog』から来ました。
アンクルディノさんにぜひお話しておきたい事があるのですけど、アンクルディノさんの連絡先が分かりません。もうアンクルディノさんはここを見ていないかも知れませんけど、このまま黙っているのは私の精神衛生上良くないので(苦笑)、ここに書かせてください。

私は少し前まで中学・高校で教員をしていました。ですので、アンクルディノさんが、いじめを防ぐ方法を切実に求められている気持ちは分かるつもりです。
しかし、これだけ多くの優秀な教員たちが全力で頑張っているにも関わらず、いまだにいじめ自殺の問題が深刻であるという事実が、即効的な解決法はないという当たり前の事を示しているのだと思います。

いじめを防ぐ方法は、いじめが実際に起きる前には有り得ないと、私は考えています。まず最初に、どんな小さないじめでもいいです(むしろ小さいほど良いです)、それを見つけて、徹底的に叱り、徹底的にクラスで話し合う事です。一度で駄目なら、二度でも三度でも四度でもです。そうやって、小さないじめで、(これまでならいじめになっていたであろう)人間関係の問題が起きた場合の望ましい対処法を、子どもに身をもって学ばせていくわけです。
重要なのは、いじめという現象そのものではなく、そういった人間関係の問題が起きた時の対処法として、最後まで「人をいじめる」「いじめられる」という選択肢しか選べない状況・能力を改善する事にあると思うのです。

この考え方はワクチンに似ています。そう思えば、子ども時代のいじめ体験は、対人トラブルの対処法を学ぶ良い経験だとさえ言えます。どんな状況が対人トラブルの起きている状況なのか、そして、そういう対人トラブルが起きたのは何が良くて何が悪かったのか、さらに、どんな対処法なら良くて、どんな対処法をしたら悪いのか、教員が客観的な立場からはっきりと断じて諭す事ができるのですから、なおさら有効です(大人相手にはそういう事はなかなかできませんけど)。その意味で、初等教育に携わる教育者は、子どもの前で常に「権威」でなければならないとも思っています。

2つの例え話をしたいと思います。

1つ目は、学習能力のあるロボットの話です。人工知能の研究者は、ロボットに学習能力を持たせる方法として、次のような方法を使っています。まず、ロボットに好き勝手に行動させます。行動の結果が好ましいものだったら、得点を与えます。逆に、行動の結果、好ましくない事態になった場合は減点です。そうやって、多くの経験を積ませてやると、ロボットは、どういう場合にどう振る舞うと良いのかを、的確に学習するようになります。
──相手を自殺に追い込むようないじめをした子というは、ちょっとしたいじめをした時に、(先生に叱られるとか、相手の気持ちを思って自己嫌悪に陥るといった)減点ではなく、(気分が良かったといった)得点が与えられていたのでしょう。そして、同じような対人トラブルにあったときに、他の行動をとってみようと思うチャンスを奪っていたのでしょう。

2つ目は、金属疲労の話です。世界初のジェット旅客機コメット号は、就航から2年後、謎の空中爆発を起こしました。原因は、当時は知られていなかった高空での金属疲労でした。未知の原因での事故は防ぎようがなかったわけです。犠牲者がいるのにこんな言い方は不遜かも知れませんが、この事故があったお陰で、高空での金属疲労という現象が発見され、現在の安全な航空機開発に繋がっています。
──相手を自殺に追い込むようないじめをした子にとって、自殺の原因は、当時の高空での金属疲労のようなものだったでしょう。はじめから殺意がなかったとすれば、「まさかこんな事で、ここまで傷つき追い詰められていたなんて……」と思ったに違いありません。その前のどこかで、この子にとっての「高空での金属疲労現象」が発見されていれば、この子もそこまで他人を追い込むような事はしなかったはずです。

そもそも、道徳の第一歩は、他者性の発見にあると思っています。「他人は自分とは違う」という事です。様々な価値観・利害を持った人々の集まりの中で、それぞれの価値観を尊重しながらも、より良い社会を築き上げるにはどうすれば良いのか──を考えさせるのが、道徳の役割だと、私は思うのです。

しかし、子どもは(大人でも)なかなか他人の気持ちを正しく想像する事ができません。他人の気持ちを想像しようという発想さえない場合も多いわけです。「こういう事に対してこう思う人もいる、こう受け取る人もいる」といった経験が圧倒的に不足しているからです。
「いじめというのは、他者性の欠如が顕著に表れたもの」とするならば、様々な機会をとらえて(それこそ「いじめが起きた」という事さえ機会としてとらえ)、その事を考えさせていくべきだと思うのです。

一方、「水伝」に顕著なのは、他者の人格の否定です。純粋に善意から「頑張れ」と言ったら、相手は重圧や強迫観念などは絶対に感じないという事です。「水伝」は、すべての人が全く同じ価値観を持たなければならないという主張です。個々の人格(特に自分とは違う人格)を否定し、全体主義を指向(志向)する主張なのです。
それはそれで良いとする考え方もあるでしょう。安倍政権の支持者などは特にそう感じるかも知れません。しかし、それは、むしろいじめを助長するものです。
想像してみて下さい。「A君の考え方は間違っている、A君のお陰でクラスがまとまらない」と思い込んでいる生徒がいたとします。この生徒が「A君」と書いた紙をペットボトルに貼るのです。もしも、このペットボトルの水で綺麗な氷の結晶ができなかったら、この生徒がA君の気持ちに想いを馳せる事も、いじめ以外の解決法を考えようとする事も、A君をいじめる事への罪悪感も、何も持たずに、A君をいじめるようになるのではないでしょうか。この生徒は「正しい」事をしているのですから……。先生は、この生徒を諭せません。「水は答えを知っている」のですから……。

投稿者 田部勝也 : 2007年01月20日 18:30

ついでに、こちらにもひと言。

>アイスストーンさん「戦ってるってなんだ?/例えば新聞記事から見て感じる教師への印象は、(後略)」
大変失礼なのですけど、その印象は、あくまで、いじめ自殺を許したごく一部の教員への印象です。多くの教員は本当に命懸けで戦っています。現実に倒れてしまう人だって少なくありません。
マスコミは、怒りや憎しみを煽り立てたほうが読者・視聴者の食いつきが良いですから、そういう書き方になりがちですけど、いじめを把握し、いろいろ思いつく限りの対処もしたけど、自殺者を出してしまった場合だって、結果的に有効な対処ができなかったという事実だけをもって、「いじめを把握しても見なかったフリ」と報じていると思わざるを得ない報道も、まったくないわけではありません。

力の及ばない点についての非難は当然ですけど、「戦っているフリ」というのは、あんまりだと思います。

>アイスストーンさん「どうすれば教師の苦悩って分かるんでしょうね、分かち合えるんでしょうね。どうすれば教師の職場環境って良くなるんでしょうね」
まずは、保護者がPTA活動や学校行事に積極的に参加して欲しいと願っています。また、教員が地域の活動に積極的に参加して欲しいと願っています。そういう機会を通して、教員と保護者が一緒に飲んだり、休みの日に一緒にバーベキューとかするような仲になれれば……と思っています。ビジネスライクな関係のうちは、なかなか分かり合えないと思います。
私は「接待」という制度(?)には否定的ですが、赤の他人である取引先の人と、ビジネスライクな関係を超えて、人間同士として分かり合う・分かち合う事を考えたとき、「接待」というのは一つの方法だとは思っています(人間同士として分かり合い、情で結ばれる事が、ビジネスとしては必ずしも良い結果を生まない──という教訓はあるのですけど……)。

投稿者 田部勝也 : 2007年01月20日 18:59

うまとかいうバカがニセ科学批判論者を陰で卑劣に批判しています

http://ameblo.jp/shitsugen-dainagon/entry-10022159947.html#cbox

投稿者 通報 : 2007年01月20日 21:31

>田部勝也さん

レスありがとうございます、その通りだと思います。

狙いとしては、アンクルディノさんに反論を貰いたかったのですが、それは叶いませんでした…。

このエントリーの何処かに書いてあるかもしれませんが、僕はことしの4月に小学生になる子供を持つ親です。インターネットの情報は予備知識として有用だと捕らえてますが、結局は現場を見なければ何も分からないし、(自分たちにとっての)対策も練れないだろうと思っています(いや現場を見ても全く分からないかもしれない。それは僕の資質と努力次第でしょうが)。

ネット越しに見る幾つかの小学校教師は、「水伝」に限らずリテラシー低下が甚だしい感がありますが(まあそれは僕の検索結果、つまり僕がネガティブに捕らえている事項をキーワードにして検索した結果なので当然なのですが)、そういった事がリアルなのか否か見て感じて状況により対処したいです。「水伝」教育のまん延は、教師だけではなく(様々な意味での)親の無関心が極めて大きな要因だと僕は思ってますので。

投稿者 アイスストーン : 2007年01月21日 08:55

>通報さん
既にこちらのエントリーで紹介されているようです。

「論座」2007年2月号
http://www.studio-corvo.com/blog/karasu/archives/2007/01/20072.html

実は僕が危惧してるのは、親側にそういったタイプの方々が多々いるのではないか?と言う事です。僕のように偏差値至上主義の時代を過ごした人達(厳密に言うと今も偏差値至上主義、そして塾と小学校の乖離が激しい)は、リテラシーというのが何なのかどの程度分かっているのか、そういった事を確認する機会を今まで持ってないので気になります。恐らく僕の場合は上の子を通して色々考える事が出ると思います。

僕のリアルでは、対立することなく自分の子供を含めたリテラシーの低下防止、向上に努められばいいなと思ってます。

投稿者 アイスストーン : 2007年01月21日 09:31

>田部勝也さん
初めまして、コメントありがとうございます。
kikulogは、たったひとりのために無限ループに陥ってしまいましたね。僕は降りました。
残念ながらアンクルディノさんには読んでもらえないと思います。このコメント上でのやり取りの後、ミクシイのメッセージでやり取りをしました(実際の知人でもあり、マイミクなので)が、最終的に議論が噛み合ないままに終わりました。
個人的やり取りなので、ここで紹介することは出来ませんが、彼から教育者としてあるまじき差別的な発言があり(僕に対してではないです)、これ以上の対話は不毛であると判断しました。

いじめの対処に関する実践例、とても勉強になります。人間関係において、大きい小さいは問わず、いじめは常に存在するものだと思います。自殺に追い込まれたり、リンチによって死に至らしめるというのは、もうこれは「いじめ」という範疇では語れないことだとも思うのですが、まだ修復が可能であるならその対処法、克服法を身につけることは、生きていく上で重要なスキルであると思います。

>通報さん
あるきっかけでそのブログの存在を知っていたのですが、そのような書き込みがあったのですね。
不思議なのは、わざわざフルネールを上げていることで、またその名前がある著名な研究者と同姓同名であることが不可解です。
読みましたが、僕は特に「卑劣に批判」しているとは感じませんでした。
「そこで多くの人が、根拠の説明もなく、私の考えを否定しました。」この部分に関しては、多くのコメンターから丁寧に説明されているにも関わらず、それを理解する力が不足しているということだろうと思います。
「うまとかいうバカ」。これは言い過ぎだと思います。

>アイスストーンさん
通報さんの件に関しては、ここ最近のkikulogの書き込みを見ていただけると分かると思います。

投稿者 corvo : 2007年01月21日 10:38

>corvoさん
通報さんのレスは、僕のブログにも貼ってあります。
彼の「陰で卑劣に批判」、特に「影で」というのが僕にはよく分かりません。
貼ってあるリンクのエントリーは、センター試験で良い点を取ろうと努めるのとリテラシーを高める努力は繋がらないという例程度にしか捕らえてなく「世の中そんなもんだよな」と再認識したくらいです。

投稿者 アイスストーン : 2007年01月21日 11:12

>アイスストーンさん

>通報さんのレスは、僕のブログにも貼ってあります。

あ、ほんとだ。
エントリーに関しては、もうちょっと柔軟になればいいのになあ、という感想ですね。

投稿者 corvo : 2007年01月21日 11:18

どうも通報さんは,コピペでマルチポストしてるみたいですね。
うちのブログにも,作家の川端氏のところでも,全く同じ書き込みがありました。
マルチポスト自体あまりよいことではないのですけど,とりあえず,間接的に個人特定して中傷する形になってたので,修正させてもらいました。

投稿者 A-WING : 2007年01月21日 12:22

>A-WINGさん
そううみたいですね。川端さんのところまで行くとは。
なんだか、僕のblogが軸になってるのかな。そんなことはないと思うのですが。
「バカ」はやはり言い過ぎですね。

投稿者 corvo : 2007年01月21日 12:50

>アイスストーンさん

誤解して欲しくないのは、保護者が学校に積極的にコミットしさえすれば良いというわけではないことです。それが逆に教員を追い詰めることになる場合だってあるわけです。
親企業と下請け工場の関係を想像してみて下さい。有能な親企業の担当者は、下請け工場に積極的に出掛け、現場を見て、的確な意見を述べるでしょう。
でも、それはたぶん、アイスストーンさんが望むような「分かり合える」関係とは少し違うのではないかと思います。親会社の担当者は、工場の職員がふだんどんな気持ちで、どんな問題意識をもって、どんなことに誇りや喜びを感じ、どんなことに憤りや挫折、無力感を覚えているのか、そういった気持ちを共有することは、通常のビジネスの世界ではあまりないでしょう。もちろん、逆に、工場の職員は、親会社の人たちに対して同じ事が言えます。

私が教員を辞めた理由は、自分の力不足に尽きるのですけど、この例え話で言えば、親会社の担当者(私の場合、親や文科省)の要求と、自分の能力や価値観の間に大きな乖離が生じて絶望したことも、まったくないわけではありません。
ただ、辞める直前に、仕事付き合いの関係を離れて(もう辞めることが決まった後だったので)、親とお茶会感覚で話し合う機会がありました。もっと早くこういう機会を設けておけば、もっともっと、お互いに仕事(この場合、子どもの教育)が精神的にやりやすい環境になっていただろうに……という率直な想いはあります。
そういえば、私は一時期、卓球の指導もしていました。大会などの後に、応援に来ていた保護者がたと(さすがに飲みに行くところまではいきませんでしたが)、子どもたちの活躍を肴に長い時間談笑していたものでした。その当時は、確かに、授業などもとてもやりやすかった気がします。
そういった経験から、学校行事や地域活動の場などでの、子どもの成績やしつけといった仕事(?)付き合いを離れた、一人の人間同士としての付き合いが、とても大事だと感じています。

──もちろん、これは教員の立場からの一方的な希望です。保護者を巻き込ませることで少しでも教員としての責任や負担を減らそうという虫のいい考えかも知れません。私立学校では、学校と保護者と教員が地理的にかなり離れている場合が多いという問題もあります。ただ、私の経験が何かしらの参考になればと思い、勝手なことを書き込ませていただきました。

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>corvoさん

根本的な問題は、対人トラブルをどう対処するかという力が育っていないことだと思うんですよ。
さまざまな個性や価値観・利害をもった集団のなかで暮らしていれば、どうしたってトラブルは起きるわけです。そのトラブルにどう対処していくのかというスキルは、個人の考察や話し合いなどではなかなか身に付くものではない、さまざまな体験を積み重ねることによって苦労して自分のものにしていくしかないものだと、私は思うのです。
これは理屈などではなく、私の経験論でしかないのですけど……。でも、そのことを忘れて、「効果的ないじめ問題の対処法」を望んでも、根本的な解決にはならないと思い、勝手な私見を書かせていただいたわけです。

投稿者 田部勝也 : 2007年01月21日 22:34

>田部勝也さん

>アイスストーンさんが望むような「分かり合える」関係
僕の文章だとそう見えるんですか・・・。リアルの僕は結構冷めた目で見てますよ。最初のエントリーの「参考になりました」のコメントや、アンクルディノさんに対するコメントや、「世の中そんなもんだよな」と僕が評価した人のコメントを見て、そのコメントの裏を色々見て頂けると助かりますが・・・。

まあ田部勝也さんのコメントが僕に向けたものなのか、それとも僕を媒体にして書くべき事として数多くの人に向けて書いているのかは分かりませんが、田部勝也さんがコメントしている「そういった人たち」って何処にでもいますよね、という事で同意出来ます。それは教師側だけでなく、親側も「そういった人たち」と色々あるでしょうしね。

投稿者 アイスストーン : 2007年01月22日 09:00

>アイスストーンさん
>僕の文章だとそう見えるんですか・・・。リアルの僕は結構冷めた目で見てますよ。

あ、やっぱりそうでしたか(笑)。
アイスストーンさんのいう「そういった人たち」がどんな人たちなのか分からないのですけど、私自身は、「“水伝”をいい話だと受け取ってしまうようなメンタリティの人たちには心地良く響いてくれるんじゃないかなぁ……」と、淡い期待を込めて書いてみたつもりだったりします。

ただ、教員と保護者の関係は、本当に難しいと思いますよ。
お互いの思惑がすれ違って、疑心暗鬼になりながら、「仮想保護者」「仮想教員」に対して戦う、もしくはへつらうという状況になってしまうことも、決して少なくないように感じます。必修科目未履修問題などは、教員側が「仮想保護者」の無言のプレッシャーに屈したものと考えることができると思っています。それほど、教員側にとって、保護者の力は大きい。一方、保護者側は、自分の子を人質にとられていると、「仮想教員」に対して感じているかも知れません。「水伝教員」と戦った保護者の話でも、悩んだ末に実際に教員と話してみたら、意外なほどとても素直に応じてくださった──といった例は、少なくないですよね。
教員と保護者というのは、かくも簡単にすれ違ってしまうものなわけです(まぁ、教員と保護者の関係に限った話ではないですね)。

もちろん、ダメと思う教員には(私の例みたいに)、有無を言わせず、過度なプレッシャーを与えて、激烈に非難し、辞めさせてしまう──というのは大変有効な手だとは思います。でも、なんだか、中小企業を犠牲にして唯我独尊に振る舞う大企業という現代社会の構図の縮小版みたいですね(苦笑)。

投稿者 田部勝也 : 2007年01月22日 21:53

>田部勝也さん

(こういう言い方が適切だとは思いませんが)いい意味で鋭い方なんで助かりました。いま風邪引いて体調が悪いので「説明メンドクセー」と思ってましたので。

既に説明不要かもしれませんがマスコミ云々は、たしか以前のエントリーで、いきなり金八先生云々が出て理想論が始まっちゃったので、その延長で理想論じみたコメントで対抗したらどういう答えが返ってくるか期待して書いたんですが空振りに終わったコメントです(棒読みで読んで頂けるといい感じです)。

>「そういった人たち」
説明不足スミマセン。ノンポリ層とか、塾至上主義とか、要は学校に無関心な遭えて言うなら「仮想ダメ親」「仮想学校軽視親」です。学校の先生をディスカッションしても「お客さん」は僕と僕の子供だけじゃないので、「そういった人たち」とバランスを考えないとイカンかなと思ってます。
kikulogで荒らし認定されちゃった妄想高校生(?)が言い放っているコメントは、リアルで結構な確率で出会えるんじゃないかと予想してます。何処かに書きましたが僕の妻でさえ「コーラで歯が溶ける」とか「梅干はアルカリ食品」とかトンデモを言い放ちますし(ちなみにアルカリ食品云々は栄養学の教科書に載っていたそうです、恐ろしい時代に勉強したもんです)。
そういった予想徒労に終われば良いのですが、まあそれは実際に体験してみないと何とも言えませんね。

>教員側が「仮想保護者」の無言のプレッシャーに屈したもの
このブログで出てくる「水伝」や酒井式の延長線上にあるTOSSにもこういったものを感じてます。表面的な成果に走ってリテラシーの重要性を考えない親にとっては、まさに恰好のツールなんじゃないかなと教師が考えている様にも。
残念ながら需要と供給の法則でTOSSが存在しているように見えるんですよね。

ちなみに僕は自分の子供を出来る限り学習塾に行かせたくないと思っているんですが、ただ果たしてその為にはどうしたら良いものかと思案しているところです。学校の成績も出来れば上でいてほしいし、塾行く時間があったらもっと学ぶべきことに費やせるんじゃないかととか思っていたり…。

まとまりませんがそんな感じです。

投稿者 アイスストーン : 2007年01月22日 23:28

>田部勝也さん
学校というのは、まだ狭い世界です。だからこそ「いじめ」が陰湿で深刻なものになるのだと思います。
世界が広がれば、多くの価値観の存在や、自分にあった人間関係を築くことができます。でも、きちんと訓練されていないと、それも難しいですね。
日本という国全体が陥っている問題のような気もします。
僕は組織に属すること無く個人で仕事をしてきましたが、常に綱渡りのような状態で、零細であるがゆえに「いじめ」の対象にもなりやすい存在です。
それでも多くの良好な人間関係を築くことができたことで、なんとかやっていけているのだと思います。

投稿者 corvo : 2007年01月24日 00:52

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