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2006年11月18日

「水からの伝言」って何だ

先日、小説家川端裕人さんのblogで「トンデモ科学ネタ、ふたつ」というエントリーがあった。日常的に訪れているblogで、何気なく読んでいたのだけど世の中には色々と不思議なことが多い。というか人間というのは実に不思議な生き物だと、あらためて思ったのである。
僕は幸いにも「水からの伝言」という本の存在を知らなかった。「不幸にも」知らなかったのではなく、「幸いにも」知らなかったのである。実際、この本を買ったり、借りてきたりしたわけではないので、批判的なことを書くことはフェアーではないのだけど、内容としては大雑把に次のようなものらしい。
「水に『ありがとう』などの『よい言葉』を見せると、きれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『わるい言葉』を見せると、きたない結晶ができる」というお話らしいのである。
そして、これに対して学習院大学の田崎晴明教授が『「水からの伝言」を信じないでください』というページをアップされていて、研究者として真摯に反論を述べられているのである。
僕も研究者と関わることの多い仕事をしているので、田崎教授の書かれた文章をすんなりと納得することが出来た。「水からの伝言」で主張されていることがいかに馬鹿げたことで、科学的に論外であることは、実際の本を手にするまでもなく明らかだろう。
僕が気になったのは、何をもってして「美しい」と判断しているのかいう点である。
何を「美しい」と感じるかということは、極めて個の問題であり、100人中100人が「美しい」と感動することはありえない。レオナルドの傑作「モナ・リザ」であっても、「気持ちが悪い顔だ」という感想を持つ人もいる。ただし、「モナ・リザ」を「美しい」と思えないから悪いということではなく、それほどに「美しい」と思うことは「個」にゆだねられた部分であり、誰でもが客観的に判断出来るものではないのである。
「非常に形の整った美しい結晶」という表現ならば、まだ理解出来る。写真集に掲載された水の結晶の写真は、とても美しいのかもしれないが、著者の選んだ「美しさ」を提示されても納得することは出来ないだろう。
「ありがとう」がよい言葉で、「ばかやろう」が悪い言葉と定義することは、一見まっとうなように見えるが、皮肉を込めた「ありがとう」や、親しみの表現としての「ばかやろう」だってある。それを「水」はどう判断しているというのだろう。
この件については、ネットでも様々な意見を読むことが出来る。ただし、ものすごく時間を浪費することは確かである。
とにかく田崎教授の一文を読んでみてください。科学というもののあり方を、真摯に見つめるきっかけになると思います。
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投稿者 corvo : 2006年11月18日 02:38