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2013年3月31日
ジョジョの奇妙なバトル
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ちょっと思いついたので書いてみる。大した考察ではないかもしれないけど。
ジョジョのバトルって、当事者同士がふれあう事がほとんどない。吸血鬼は波紋を流されると死につながる。さらに強い柱の男たちも、波紋が弱点である。逆に柱の男たちは、人間を触れるだけで細胞単位で吸収することができる。口で食べる必要も、流れる血で周囲を汚す事もない。
そう、お互いに触れた瞬間がダメージにつながる。ジョジョとワムウとの闘いでは、ハンマー、ボウガンの鉄球、手綱を介して波紋が流され、シーザーはシャボン玉、リサリサはマフラーを使う。ジョジョとワムウが殴り合うシーンは全くない。
第3部からのスタンドになると、さらにその傾向が強まる。基本はスタンド同士の闘いであり、人間同士が触れ合うことはほとんどない。スタンドがダメージを受けると、その本体である人間もダメージを受けるが、直接殴られたり、傷つけられたりしているわけではない。スタンドは人間を直接攻撃することも出来るが、人間同士が殴り合ったり傷つけ合ったりという描写は皆無(だったと記憶している)だ。
血も流れる、汗もかく。そして死ぬこともある。でも当事者同士の身体が触れる事はほとんどない。
これって、すごく奇妙なバトルではないだろうか。
もし、観客としてその場にいたとしても、スタンドを見る事が出来なければ、何が行われているかさっぱり分からない。閉じた世界で殺し合いが展開している。これをマンガとして見せているのだから、非常に特殊な世界観の話だと思うのである。
第2部までは、波紋の修行のために厳しく苦しいトレーニングを課される。柱の男たちも、それぞれの流法(モード)を獲得するために、厳しい修練を積んで来たと思われる記述がある(サンタナはついてこれなかった)。しかし、第3部になると、空条 承太郎にはなんのトレーニングもなくスタンドの能力が発現している。しかも最強の。ポルナレフはかなりの鍛錬をしたという記述があったと思うが、その後に現れるスタンド使いたちも、ことさらに訓練をしたという描写はない。エコーズのように成長するスタンドもあるが、本体が修練を重ねての結果ではないように思う。
これは身体性の欠落なのだろうか。
結論はよくわからない。
ただ思いつくままに書いてみた。異論反論も多いと思うので、遠慮なくコメントいただければと思います。
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投稿者 corvo : 2013年3月31日 00:47