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2008年09月28日
第15回動物を描こう写生大会〜成安造形大学〜
今日は、朝(といっても午前11時)から大学で開催された「第15回動物を描こう写生大会」に参加してきた。
移動動物園が学内にやってきて、近所の子供たち対象に写生大会をするというものだ。

全景はこんな感じ。閑散とした印象に見えるかもしれないが、ピーク時はかなりにぎわっていた。

最初に描いたのがこれ。なんて種か確認してこなかったけど、寝姿がかわいい。ずっとこの姿勢で寝ていた。

早く終わってくれと願っているのか、無関心を決めているのか、ユーモラスな姿でじっとしていた。鉛筆。

コンゴウインコ。じっとしている時もあるのだけど、時折せわしくなく動き回っていた。

左はセピアインクとつけペン。右はパステルとチャコールペンシル。

つがいのコウモリ。描いている最中に気がついたのだけど、母親の方が赤ん坊を抱えていた。

あまり動くとはないので、じっくりと描けた。途中、手の膜の手入れをしたりするのだけど、また元の姿勢に戻ってくれる。鉛筆。

これはポニーかな。ちゃんとチェックしてこなかった。

蹄がひどく伸びている。

パステルとチャコールペンシル。

テグートカゲ。

大きく頭だけ描いてみた。チャコールペンシル。

アンキロサウルス類も驚きの、妊娠したヤギのお腹。時々、中の胎児が動くのが分かった。
天気は曇りでちょっと肌寒かったけど、楽しく描くことが出来た。人間と全く違ったフォルムを持つ動物たちの姿は面白く、そして美しい。子供たちの描いている絵を見るのも楽しかった。ただ、気になったのは、親が一所懸命になるあまり、事細かに子供たちに指示をする姿だった。「あそこは、この色でしょ」とか、パレットにどんどん勝手に色を出していったりとか、「画面いっぱいに入れなさい」とか、普段絵も描いていないだろう人たちが、えらく具体的なことを子供に言っている。子供は言いなりに描くのだけど、楽しくも面白くもないだろう。僕自身はそんな経験をしたことはない。
よく美術教育批判をする人がいるが、こういった親たちによって美術嫌いになっている子供たちも多いのではないだろうか。もちろん、その場では何も言わなかったけど、暗澹たる気分なってしまったのである。
投稿者 corvo : 2008年09月28日 23:31
コメント
へぇえ、美大って面白いイベントをするんですね
ネコ科に鳥、コウモリに馬ヤギ、トカゲと
モチーフがちゃんとデザイン的に多岐にわたっているのがさすがですね
投稿者 飛車 : 2008年09月29日 08:38
子供が「親の自己実現のツール」になっているようなケースが多いようです。「子供の好きにさせたい」といいつつ、実は親が上から糸をひっぱっているということはたくさんありますね。
投稿者 しのぶん : 2008年09月29日 08:42
>飛車さん
なんだか、ごった煮状態でした。もうちょっと大学のプロモーションにも生かせると思うのですが、上手く伝わっていないようにも感じました。教員で描きにきていたのは僕だけでしたね。
>しのぶんさん
凄く問題あると思うのです。大人になって「自分探し」とかしちゃうのだろうか。
特に芸術科目は、そんな親の呪縛から子供たちを解放してあげる、有用なツールだと思うのですけどね。
その親たちにはよほど言いたかったけど、ぐっと我慢しました。
投稿者 corvo : 2008年09月29日 11:37
親御さんも絵を描いてコンペに参加するとかになると、子供に口出ししてる暇がなくなるのではないかと思います。
大人になって自分探しができりゃあいいほうかと…。
いまうちに職業体験できている中学生に常々言っている言葉は、「んなことは、自分でかんがえなさーい」です。
投稿者 しのぶん : 2008年09月29日 14:39
>しのぶんさん
「自分で考えなさい」は大学生にも言いますね。というか大学生に言わなきゃいけないってのもどうかと思うのですが、企業の新人研修も同じような感じなのでしょうかね。
>親御さんも絵を描いてコンペに参加するとかになると、子供に口出ししてる暇がなくなるのではないかと思います。
部門別にしないで、子供とガチにしたら緊張感でるかも。
投稿者 corvo : 2008年09月29日 15:11
美術教育は「余計なんでしょう」。
音楽と美術を「表現科」とひとつにして、そういった訓練をしていなかったり、美的センスのない教員であっても作品?を評価できる方向にしようとしています。
その例、靴の裏に絵の具を塗り、紙の上でかかとを中心に円を描く・・・そのパターンが作品なのですよ。
つまり技術もセンスもなくても誰でもが描く?ことのできる絵?なのです。
これじゃぁ、体育は苦手だけれど美術の得意だった子が登校拒否になっちまうのがわかる気がしました。
辞任した大臣を弁護するつもりはないけれど・・・学校飼育動物の問題も学芸会も、先生の残業を少なくして、なるべく手を抜く方向にしたいようですね。
投稿者 くまがい : 2008年09月29日 15:19
最初に描かれたこれは豹?なのでしょうか?
本当に可愛いです。
こんな姿で眠り続けるなんてなんて器用なのでしょう。
というかこれは檻に入れられてしまっているせいもあるのでしょうか?
私も動物が大好きなので、こんなイベントがあるなんて素敵だなと思いました。
>ただ、気になったのは、親が一所懸命になるあまり、事細かに子供たちに指示をする姿だった。「あそこは、この色でしょ」とか、パレットにどんどん勝手に色を出していったりとか、「画面いっぱいに入れなさい」とか、普段絵も描いていないだろう人たちが、えらく具体的なことを子供に言っている。子供は言いなりに描くのだけど、楽しくも面白くもないだろう。僕自身はそんな経験をしたことはない。
よく美術教育批判をする人がいるが、こういった親たちによって美術嫌いになっている子供たちも多いのではないだろうか。もちろん、その場では何も言わなかったけど、暗澹たる気分なってしまったのである。<
この部分は、本当にそう思います。
まずは絵が描くことが楽しくないと、育つ芽も育たなくなってしまうと思います。
芸術というのは、とてもある意味崇高なものではあるのですが、日本?(だけでしょうか?わからないのですが)はステイタス志向で芸術を見過ぎる傾向があるのではないかと思います。
芸術を見てれば、レベルが高いとか、逆に敷居が高すぎるとか・・・
もっと身近に感じた方が良いのではないかといつも憤りを感じてしまいます。
親がうるさく正しい?絵を描かそうとするのもそういうベースがあるからでは?と感じてしまいます。
投稿者 satelier : 2008年09月29日 20:24
>大人になって「自分探し」とかしちゃうのだろうか。
自分探しの旅は一生かけて行うものですby僕の妻
生涯これ学習ですよ。
まあ人生(≒現実)を直視出来ず、形式ばったもの囚われ、徒に浪費する行為に走るような、青い鳥症候群とかその類の事を仰っているのは分かりますが(笑
投稿者 アイスストーン : 2008年09月29日 22:30
ヒョウではなくジェネットですね、ジャコウネコの仲間です。
コウモリはルーセットオオコウモリかと?
投稿者 くまがい : 2008年09月29日 22:32
>くまがいさん
特に幼児教育、小学校などには、芸術教育の専門家があまりにも不足していて、また現場に従事していないのだと思います。そういった現状が、「七田式幼児教育」や「酒井式描画法」などの蔓延につながってしまうのでしょう。
教育者が本当に情熱を傾けられる状況になっていないのだと思いますし、またそういった人材も決定的に不足していると思います。でも、どこからも求められていないのかもしれません。それでも、僕は前向きに考えていきたいと思っています。
ジャネット、でした。ありがとうございます。コウモリはまったく確認してきませんでしたが、オオコウモリの一種だと思います。
>satelierさん
くまがいさんに教えてもらいました。ジャネットです。
ただ、動物の管理方法など、課題も多いと思います。
休みの日に、好きで絵を描きにきているのだから、存分に楽しんでほしいです。親も子供も、両方にストレスだと思うのですけどね。
「正しい絵」なんて、どこにもないのに。
>アイスストーンさん
「自分探し」は僕には理解できないです。「自分を育てる」なら分かるのですが。学習するなら、やはりそこに自分がいなくては、育てようもありません。
投稿者 corvo : 2008年09月30日 00:49
もちろん、俺だって前向きに捉えていますって!
・・・ジャネットではなく「ジェネット」です。
投稿者 くまがい : 2008年09月30日 04:11
小学校4年の時、学校の写生大会で描いた絵が、県で金賞となりました。仲の良い友達と並んで、自分で選んだ場所で描いた絵でした。
5年生の時、担任が「君はここで描きなさい」と、好きでもない景色を描かされました。友達もいませんでした。
幼心にも、「自分のクラスから入賞者を出したい」という担任の心が見えて、今でも嫌な思い出です。
これは教育ではないですよね。
投稿者 A.E.G : 2008年09月30日 21:43
>「自分探し」は僕には理解できないです。
ネットで「自分探し」をキーワードに検索したら、自分の解釈と随分違うように見えて驚きました(笑
以下が僕の解釈です(妻はもう寝ているので僕と同じ解釈かどうかは知りません:笑)。
要は自己探求ですよ、しかも難しい事ではなく日常が自分探しなんですよ。例えば画を描く事も「自分探し」です。自分の意思で、自分の感性で自分の体で、自分の目に何が見えるか、何を感じるか、何を体現できるか・・・。いや、別に特別な事ではなく、日々の生活で見えるもの聞こえるもの感じるものに関心を持ち続けて、自分は何たるか絶えず巡らせていけばいいだけだと思うんですよ。
僕から見て、大人になって急に自分探しを始めるのは、今まで一体どんだけ自分に、あらゆるものに無関心に生きてきたんだよ?!ってだけに過ぎないです。今まで自分探し一切無しかよと。
そういった意味では子を持つ親としては、子供の持っている関心を失うような行為は可能な限り避けたいです。ネットや雑誌で一般的な「自分探し」という定義が一体何なのかにも、どうしてそういった結論になる人が出るのかにも関心が持てました、自分の子供が将来そういった若者になる可能性も否定は出来ないですからね。
・・・もしかしてcorvoさんの言う「自分を育てる」って事と近いのかな?よく分からないけど(笑
投稿者 アイスストーン : 2008年09月30日 23:50
「本当の自分」なんて若者達を低賃金、非正規労働に固定する為の経済界の洗脳ですよ。
経済がグローバル化して新興国とロボットと戦うための戦略に過ぎません。
昔なら「夢を追う」なんて言ったら「バカも休み休み言え」って親がブン殴ったものですが、今は親まで洗脳されていて「子供の夢を応援してあげたい」なんて本気で言います。
最近子供に変な(芸人みたいな)名前をつける親が増えてますが「自分は平凡な人生しか送れなかった。本当の自分はもっと素晴らしい人間のハズだ。だから自分の子供は特別な何かがあるハズだ。」という下心がミエミエで笑えます。
それにしても動物は動き回るのでデッサンは大変でしょう。
私も何度かやりましたが、撮影してから描き写す方が効率的だと思いました(この考えは相当反発があるのは承知です)。
投稿者 村瀬 : 2008年10月01日 03:29
自分探し・・・
自分→現実
探し→逃避欲求
と、置き換えて考えることにしています。
ただし子供時代には妄想、幻想、夢物語をくりかえしくりかえし見て欲しいものですが。
投稿者 守亜 : 2008年10月01日 10:34
毎度のヘンなツボ?に嵌りました。
調べると老若男女問わず「(僕の解釈と違う)自分探し」ブームみたいですね(笑
自分作りという細分化されたような記号化された言葉もあって、それに係るビジネスもあるし、最近男性向けの自分探し本も出たみたいだし、面白過ぎです。これって実はブームの根幹はある意味「水伝」と同じなんじゃないかと思うくらい。
そもそも、「自分がイメージする自分」という「枠に自分を嵌め込もうする行為」が存在するようだが、それが全く分からない、自分に妙な限界や制限作ってどうするんだか。大掛かりな自分探ししたらそれで自分は完成?
自分探しは生まれたときから始まってると思うんだけどなあ。自分という物は、見て聴いて感じて考えて葛藤して苦悩して見出しての連続で形成していき、死ぬまで絶えず変化するというものだと。
一時的な旅に出て見つかるのはせいぜいドラゴンボールくらいだと思いますよ。
投稿者 アイスストーン : 2008年10月02日 00:13
>くまがいさん
もちろんそう思っています。
すみません、「ジェネット」ですね。訂正、ありがとうございます。
>A.E.G.さん
大人のエゴに子供がつきあわされるのは悲劇です。僕にも少し経験があります。お話の絵で「セロ弾きのゴーシュ」を描いたのですが、担任教師が画面をにぎやかにしようといろいろなものを描かせて、貧乏なはずのゴーシュの部屋がゴージャスになってしまいました。子供ながらに本末転倒だろうと思ったものです。小学校4年生の時です。
>アイスストーンさん
絵を描くことは、常にいやおうなく自分を突きつけられる行為なので、探すということはないなあ、というのが僕の感想です。
その上で、育て、磨く、という感じかなあ。
ブームなのかなあ。
自分がイメージできる、本当の自分なんて、ものすごくスケールが小さくていやだと思うのですけどね。そんなに自分の限界をもうけたいのかと。不思議です。
>村瀬さん
本当の自分なんて、鏡を見たらいつもそこにいるものですよね。
飼育されている動物は常道行動を取る場合が多いので、そのパターンんを観察しながら描くことが多いです。頭に残像を焼き付けていく方法もとります。写真も利用しますが、どうしても情報量がごっそりと抜け落ちてしまうのですよね。
>守亜さん
妄想癖はいまでもあります。しょっちゅう、妄想しています。
投稿者 corvo : 2008年10月03日 03:17
誤解というか、ネット上の?一般論に僕がフィックスしていないというか・・・。
色々見て思ったのですが、ネットで見つかる自分探しの「自分」は、概ねライフスタイルとか職業なんですね。「どんな自分になりたいか」という事を煽っているサイトがあるのですが、それらは明らかに収入の高いスペシャリストになって悠々自適にすごそうよ的な、表層だけを追っているように見えます。先に書いた「自分作り」もそうですが、殆どの「自分」の定義には「スペシャリストになろうよ」的な面しか見えないのですが。
ネットの解釈が、まず「自分」という概念が内面的な、メンタリティとも言うべきところに行かず、職業とかライフスタイルとか、表層に偏っているなというのが凄く怖いです、記号化の弊害とでも言うべきか・・・。本来「自分」というのは、パーソナリティとかユニークさとか、そういった内省的な面が大きく支配するものだと思うのですけどね、飽くまで主観ですが。
>本当の自分なんて、鏡を見たらいつもそこにいるもの
まさにこれなのですよ、僕から見て、如何に自分と対峙するかの連続が自分を知る術だと思います。
問題なのは、自分を映し出す鏡を持ち合わせていない人が如何に多い事か。表層の外的な、ステレオタイプ的なライフスタイルだけに目がいく人が如何にいるか(主観ですけどね)。
投稿者 アイスストーン : 2008年10月11日 00:29
>アイスストーンさん
「形」から入ってしまうのでしょうね。
まさに十人十色で、そもそも個性というものは各個人に備わっています。そこも誤解している人が多いと思います。
教育の問題が大きいのかなあ。
投稿者 corvo : 2008年10月12日 20:02


