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2008年03月24日

モデルの手配

4月から始まる授業のために、年明けからカリキュラムを考えたり、モデルに入ってもらう時間割を決めたりという事をしていた。いよいよ時期が迫ってきて具体的な計画を立てる必要があり、人体デッサン、クロッキーの授業を担当する僕が責任をもってモデルの手配もすることになっている。
まだ、どんな学生が入ってくるのか、どういった内容の授業になっていくのか、僕にとっても手探りの部分が多いので失敗もあるかもしれないが、良質で濃密な時間を提供できるよう努力しなくてはならない。とはいえ、大学なのでこちらが手取り足取りすることはないが、求める学生に対してはどんどん応えていきたい。
ただ最初の授業では、モデルに対するマナーとモラルは、かなり厳格に伝えておくことが必要だろう。常に気遣いを忘れずに、敬意をもって接して欲しい。美術モデルの仕事は肉体的に極めて過酷だ。夏と冬は室内温度の管理も重要で、少々の暑さ寒さは描き手のほうが我慢して、モデルにとって一番快適な温度にしなくてはならない。
なぜ、こんなエントリーを書いたのかというと、ちょっとネット上に気になるスレッドが上がっていたからだ。結論から言えば、そのやりとりの内容はそうとうに酷い(一部まともな書き込みもあるが)。心ある人はスルーするのが良いと思うが、僕の職業にも関わることでもあるので、無視する事も出来ずリンクだけ貼っておく事にする。
ヌードデッサンのモデル
ヌードデッサンのモデル3

数年前の2チャンネルのほうが、よほどまともなやりとりである。
女性ヌードモデルって

ある特定の職業に対する差別意識は、虫酸が走るほど嫌なものである。
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投稿者 corvo : 2008年03月24日 23:55

コメント

 女性作家の菅野彰さん(著作「海馬が耳から駆けてゆく」他)が、本の中でデッサンモデルさんだった体験を書かれておいでなのですが、大変厳しいお仕事だと読んで初めて知りました。

>ある特定の職業に対する差別意識は、虫酸が走るほど嫌なものである。

私もそう思います。

投稿者 すず : 2008年03月25日 09:06

>差別意識

個人の感じ方と他人のそれ、そしてコミュニティでの総意という、それぞれの違いが解ってない人もいる、ということなんでしょうね。

自分の感じ方が正解だ、と思いたがる気持ちは、あっても良いと思います。そこが完全に壊れちゃったらまずいと思いますし。いわゆる「自信」ですね。

でも同時に、自分が正解ではないという、矛盾した心の状態をきちんと処理できるようになったほうが、いろんな場面で役に立つと思いますね。これからの時代は特に。

投稿者 A-WING : 2008年03月25日 13:00

>すずさん
美術モデルは過酷な肉体労働です。そのおかげで、僕もこうやってご飯を食べる事ができています。どれだけ感謝してもし足りないほどの恩恵を受けています。
淡谷のり子さんも芸大生時代、美術モデルをやっておられたのは有名な話ですね。
きちんとヌードモデルを見て描かないと分からないことというのは、本当に多いです。やはりなくてはならない存在です。

>A-WINGさん
自分の感じ方が正解だ、という点では僕もそういう考えで意見を述べていることには違いはないと思います。
でも、どこでもそれを押し付けてよいわけではないし、「場」というものがあるのですよね。
ただ、以前、僕のblogでクロッキー会で起きた問題を書きましたが、人の裸を描く場である以上、徹底的にプロのマナーと理屈を押し付けてよいと思います。
その上で表現にエロティシズムは大事ですよ。ということはきちんと伝えていきたいです。

投稿者 corvo : 2008年03月26日 01:24

corvoさん、はじめまして。
以前よりブログを拝見しておりましたが、今回はどうしても一言残したく、コメントさせてもらいました。

私は美術の専門教育はほとんど受けておりませんが、なんとなく美術界の端の端の端に指先だけ引っかかっています。有志によるデッサン会(ヌード・着衣)にも度々参加しておりますが、その都度モデルの方々のプロ意識に感動させられます。
また別の場所で初めて体験した際には、指導役の先生から「モデルさんへの感謝の気持ちをもたないものは、筆を持ってはいけない」と、口酸っぱく言われました。

そういったことを分からない人が、興味本位であれこれいうのは、それこそ卑しい行為だと思います。
そもそもたかが1ポーズ数十分程度のデッサンで、腕を動かす以外の意識が働く暇はありません。
必死です(私だけ?)

投稿者 キャリン : 2008年03月26日 08:49

人は他の人やモノや環境や自然によって活かされています。

シンプルに考えれば、それらに感謝するのは当たり前のことなのですが、現代はそういうことが忘れられていると感じることが多いです。

本来は教えることではなく、自然と身に付く感情なハズだと思うのです。
ですが、今はそれらがナイですね、残念ながら。

投稿者 ミヤモト : 2008年03月27日 01:36

>キャリンさん
初めまして、コメントありがとうございます。返答が遅れて申しわけありません。
僕にとってもモデルを見て描く時間は、それに没頭しないととても描ききれるものではないです。雑念が入り込む余地はほとんどないです。
まさに、「必死」です。
ヌードモデルの存在なくしては、これまでの芸術の発展もなかったし、僕自身も今のスキルを身につけることは出来ませんでした。
また、いつでも遊びにきてください。
これからもよろしくお願いします。

>ミヤモトさん
子供の時から自然に身に付いていて欲しいと思いますが、なかなか難しいのでしょうか。
僕自身、どこまで出来ているかというと自信のないところもあるのですが、少なくとも、モデルに対する感謝、敬意の念を忘れたことはないです。

投稿者 corvo : 2008年03月28日 20:32

>表現にエロティシズムが大事
…私もそう思います。

ヌードの状態を描かせてもらえるということは、なかなか出来ないこと(セッティングなど物理的な面が大きいと思いますが)をさせてもらっているということで、本当に貴重な機会だと思います。そして人間の存在や姿を自然の一部として肯定的に認められるということは素晴らしいことだと、私は思います。目の前のモデルさんと私と、同様の身体を持っているのであり、自分自身の投影としてモデルを見ることもできますね。実際にその場では、私とモデルさんと1対1の関係しか、描いている間は頭にないですし。
それに対して、否定的になったり、部分的な捉え方をしてしまうのは勿体無いなあ…と思います。

投稿者 田中清代 : 2008年03月28日 21:54

>田中清代さん
ヌードモデルをとりまく空間の緊張感には、なんともいえない心地よさがあります。張りつめた視線の先にモデルをとらえる瞬間、その情報を筆先に伝えて白い紙に軌跡を描いていく行為、それら全てが僕にとってはかけがえのないものです。
その厳しさ、楽しさを多くの人に知って欲しいし、伝えていきたいなあと思います。

投稿者 corvo : 2008年03月31日 00:09

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