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2007年9月28日

お見積もり

よく言われる事だが、「絵には値段があってないようなものである」というものがある。
既に亡くなった芸術家の作品の場合は、その金額は天文学的な数字に上るものもあれば、生前に比べて価値が下がるものもある。

僕の仕事でも、クライアントへ見積書を提示することがある。そんなとき、「大体こんなものです」では通用しない。やはり、見積書にも合理的な内容が要求される。なので、簡単な計算式を自分なりに作って、数字を当てはめていき金額を算出するようにしている。絵の値段は明確にある。
気持ちとしては、「もっと欲しい!」というのが常ではあるのだけど、きちんと見積もりの内容を評価してもらったときは、嬉しい気持ちになる(ほぼ全ての場合、ディスカウントすることになるので、ほんとは嬉しくないことも多々あるのだけど、ぶつぶつぶつ・・・)。
もちろん、ギャラリーに並べて絵を売るとなると、まったく違った考え方をしなくてはいけないのだけど、こういったことを意識するようになって、制作をすることが随分と楽になった。
自分が出した見積もりの中で収められなければ、それは自分の責任であるし、仕事の仕方が下手なだけである。
僕が知る限りではあるが、こういったことをちゃんと教えている美術系の大学はほとんどない(皆無かな。知っている人いたら教えてください)。他にも、著作権のこと、契約書の書き方など、仕事をする上で重要なことはたくさんあるのに、美術教育のプロセスの中に入っていないのは、大きな問題だろう。
僕の場合、結局これらのことを、社会に出てから自分で勉強したり、人から教えてもらったりして、たくさんの失敗をして身につけてきたものだ。これは実に効率が悪かった。「独学」の弊害を痛感したものである。
絵を描く技術は、ある程度伝授することは出来ても、どんな絵を描けば良いかを教えることはできない。ましてや、良い絵の描き方、売れる絵の描き方は、自分自身で試行錯誤を繰り返し、模索するしかない。少し前に、骨王さんと話をしたのだけど、アメリカにある教則本(例えば、「シナリオライターになるには」とか)だと、契約書の書き方や、仕事の営業の仕方などに、多くの紙幅が使われているという事である。僕が持っている、サイエンティフィックイラストの本にも、契約の結び方や、契約書のフォーマットまで記載されている。日本のこういった類いの本には、欠落している部分ではないだろうか。
作品を作り上げるアプローチは、基礎という共通点はあっても、それぞれの作家に違いがあり、一つとして同じ物はないだろう。同じ轍を行ったとしても、どこかで違う道を行く事になるかもしれないし、ただのデッドコピーで終わる事になるかもしれない。
そうであるなら、絵というものを通して、どうすれば社会と繋がることができるのか、という実務の面を重点的に教育の中に取り入れるべきではないだろうか。自分は人気があるのか、ないのか、という抽象的な評価ではなく、自分の価値はいくらである、という明確な基準を持つ事がプロフェッショナルとして重要なことではないだろうか。
美術の問題だけに関わらず、他の分野でも大切な視点ではないかと、僕は思っている。
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投稿者 corvo : 2007年9月28日 23:50