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2007年02月12日

がんばれ!図工の時間フォーラム 2

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いつもありがとうございます。応援よろしくお願いします。
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前回のエントリーではたくさんのコメントをいただき、大きな反響があった。
このblogへコメントを寄せてくれる方は、美術教育を肯定的に捉えており、「図工の時間が削減されることはとんでもない」という意見を表明してくれている。ここがアートブログであり、僕が絵描きであることから、一般的な社会情勢からは偏っているのかもしれないのだけど、小学校教育の現場にいないものとしては、もうひとつその危機感を実感することができない。
しかし、「図工の時間」を減らしてもなんらメリットはなく、人間形成においても悪影響があるとしか、僕には考えられない。

フォーラムでのパネリストの発言に、図工の時間を経験することでクラスメートについての理解が深まるのではという話があった。普段、あまり目立たないのだけど、図工の時間になると生き生きとその能力を発揮する子供たちがいたりする。物を作ったり表現したりする行為には、その子供の持っている様々なことがないまぜになって立ち現れてくるものである。そうすると、普段見せていなかった一面を発見したり、それがきっかけで仲良くなったりすることがあるだろう。
これは得意不得意、上手い下手といったこととは関係なく、自分とは違う人間がいることを認識することにもなるし、表現の多様性を実感することにもなる。一人の人間が、作品を完成まで責任をもって作ることができる「図工」という時間は、かけがえのないものだと、僕は思う。
前回のエントリーのコメントでも書いたのだけど、「図工の時間はだれもが主役になれる瞬間なのだと思います」。それは多くの楽しみとともに、苦しさもあるのだけど、工夫したり、質問したり、友達と相談したり、素材と格闘したりすることで、他では経験できないことを得ることができる。
算数で100点をとっても、その時点では数学者ではない。理科で100点をとっても、その時点では科学者ではない。国語で100点をとっても、その時点では文学者ではない。でも、図工の時間は、作品が出来上がった瞬間、その作品の作者であり芸術家になれるのである。そんな素晴らしい機会を子供たちから奪うことはできない。
だからこそ、図工の指導、評価は難しい。ひとりひとりが独立した作者であることができるように、教師は気を配らなくてはならないだろう。そんな自信を子供達一人一人が持つことができる授業が理想的なのかもしれない。

フォーラムの後、ティーパーティーで友人と話をしていたのだけど、極論ではあるが学科というのは、学校でなくても習得出来るのではないかということである。経済的な負担を度外視すれば、塾もある、家庭教師もいる、教科書や参考書を使って自習することも出来る。しかし、図工や音楽や体育のようなものは、学校でなくては経験することができない。ピアノ教室や絵画教室のような個人的経験ではなく、友達同士で作品を見せあったりする行為が重要なのである。
そう考えれば、「図工の時間」を削減することが、どれぐらいナンセンスなことか分かるだろう。学校でしか実現することができない授業を減らし、学校以外でも習得が可能な授業を増やすことに意味はない。

とにもかくにも、削減された「図工の時間」を取り戻さなくてはならない。
もし、この考えに反対される方があったら、その意見もお聞かせ願いたい。「図工の時間」を削減しても良いと思っている方のコメントも歓迎です。

投稿者 corvo : 2007年02月12日 23:56

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コメント

「図工」って実は数学的要素の塊りなんですよね。
具体的に数式が解けるかどうかは別として、合理的に物事を判断する訓練としては「絵」や「立体」はすごく効果的だと思います。
私は数学が苦手で正直二次関数で止まっていますが、飛行機や恐竜を造っているとどうしても「合理性」からは逃げられません。

あと今の子達にはあまりにも「忍耐力」が欠如しています。
彼らでは中国人にもインド人にも勝てません。

投稿者 村瀬 : 2007年02月13日 04:28

>村瀬さん
立方体や直方体を紙を使って作るにしても製図しなくてはいけないし、出来上がりを想像できなくてはうまくいきませんよね。それには合理的な思考が不可欠ですし、正確な作業も必要です。僕は数学は高校で完全に落ちこぼれましたが、ちゃんと出来ていれば、今もっと役に立っただろうと思います。

忍耐力も必要ですね。物事を完成させるまでには、楽しい事ばかりではなく、必ず苦しい部分もあります。そんなとき、じっくりと忍耐強く進めていく精神力がなくては、中途半端になってしまいます。
どんな職業についても、成功する事はできないでしょう。

投稿者 corvo : 2007年02月13日 10:45

基礎教育の段階で感受性や忍耐力を養うための教育である図工の時間が減らされる、というのは、やはり問題が大きいと思います。受験必須科目ばかりの勉強では、その個々人に潜む才能は測れるはずがないですからね。

投稿者 チョビ之助 : 2007年02月13日 12:43

>>図工の時間は、作品が出来上がった瞬間、その作品の作者であり芸術家になれるのである。
>>そんな素晴らしい機会を子供たちから奪うことはできない。

素晴らしい的確な表現だと思います。感銘を受けました。
そうなんですよね。児童一人一人が主役になれる時間なんですよね。
やはり、「図工」の時間の削減は大きな問題をはらんでるとしか言えないですね。

投稿者 かずごん : 2007年02月13日 17:01

正直、図工を削減するくらいなら音楽を削減すれば良いのにと思うんです。大体、楽譜が読める、リコーダーが吹けるから一体何になるんだと。そんなこと音楽家にでもならない限り大人になってから使わないと思うんですよ。
もちろん、僕が音楽の授業が嫌いと言う点もあるんですが・・・

その点、小田さんのおっしゃるように
>>図工の時間は、作品が出来上がった瞬間、その作品の作者であり芸術家になれるのである。
と言う点、図工の時間は優れていると思うんです・・・

投稿者 ニヤゾフ : 2007年02月13日 17:27

今日は。

 ニヤゾフさん>音楽を削減すれば良いのにと思うんです。

これは、ちょっと不用意かと思います。

 >一体何になるんだと。

将来、具体的に役立てる事があるか、という視点のみで捉えると、考え方によっては、全ての教科について、「役に立たないんじゃ?」と、言えてしまいます。

勿論、教科の内容について議論するのは良いと思うのですが、なるべく、客観的に考えるべきかと。

ちなみに、私は数学と英語が大嫌いでしたが、今では、勉強しなかったのを、物凄く後悔しています(笑)
あ、別に、「将来役に立つ”から”」勉強するべきだ、と言いたい訳では無いです。

投稿者 TAKESAN : 2007年02月13日 19:06

うーん、そうなんですか。もう少し客観的に考えた方が良いですね。あまりにもアンチ音楽過ぎたかもしれません。

投稿者 ニヤゾフ : 2007年02月13日 19:59

図工と音楽は、手を使う、身体を使うという点でも、とても良い教科だと思います。(だから高校でここに書道が入ってくるのも、なんとなく納得です。)
たとえば国語などで、他の子供と違う意見を言ったからといって、あまり褒められないのが日本の雰囲気だと思うんです。で、大概の子供はそこが分かっていて、案外上手く切り抜けられちゃう。おとなしくしていれば良いんですから。
でも、図工、音楽、そして体育は、身体能力が強くかかわってくるので、否応無く個性が出ます。 この「人との違いがハッキリ出る」というのは、学びの機会としても、人との経験としても、とても貴重なこどだと思います。子どもの頃には、体育が出来なくて辛かったけれど、そういう経験も大人になって、他の人の気持ちを想像する力になっているかなと思いますし、いろんな人がいるという状況を少しでも多く経験していると、大人になってから生き易いし、面白いと思います。

投稿者 田中清代 : 2007年02月13日 20:26

>チョビ之助さん
図工は非常に基本的な各個人の特性がでるような気がします。

>かずごんさん
国語の作文も近いですね。
でも、図工は自由度が高いぶん、いろいろな方法が試せるし、自分にあった作り方を見つける事ができると思います。

>ニヤゾフさん

>正直、図工を削減するくらいなら音楽を削減すれば良いのにと思うんです。大体、楽譜が読める、リコーダーが吹けるから一体何になるんだと。そんなこと音楽家にでもならない限り大人になってから使わないと思うんですよ。

こうやって言い出すと、全て同じになってしまいます。
「図工を削減すれば良いのにと思うのです。大体、絵が描ける、彫刻が上手いから一体何になるんだ。そんなこと美術家にでもならない限り大人になってから使わないと思うんですよ。・・・」なんて風に言いかえることが出来てしまいます。こう思っている人も、実際多いと思いますよ。
僕も音楽の授業は好きではなかったですが,いまは音楽が好きですし、造詣が深い訳ではないですが、音楽の知識があると楽しいこともいっぱいありますよ。

>TAKESANさん
フォローありがとうございます。
「不要論」を言い出すと、全てに当てはまってしまうのですよね。

僕も英語が大嫌いで、今ものすごく苦労していて後悔しています。

>あ、別に、「将来役に立つ”から”」勉強するべきだ、と言いたい訳では無いです。

これ重要ですね。無駄なものは何もないと言えると思います。(水伝などのニセ科学は不要ですが)

投稿者 corvo : 2007年02月13日 20:34

>田中清代さん
他人と違うということ、表現の多様性を知る事、いろいろな方法があり、得意不得意もそれぞれにあるということ、それらが厳然と立ち現れてくるのが、芸術教科や体育なのだと思います。
「いじめの問題」を解決する上でも、重要な鍵があるのではないでしょうか。
「図工」に変わるものって、何も思いつかないのですよ。減らして、どうしようというのか。文科省の考える教育のビジョンが見えてきません。

投稿者 corvo : 2007年02月13日 20:46

スミマセン、何故図工の授業時間が減ったんですか?
それを色々な観点から分析して理解しないと対策も練れず、
本当に名実ともに「がんばれ!」だけで終わってしまうんじゃないかと思います。

投稿者 アイスストーン : 2007年02月13日 22:27

>アイスストーンさん
これについては、僕は完全な答えが分かっているわけではないのですが、おおよそ次のようなことだと理解しています。
1.週休2日制の実現による、全授業数の削減
2.「総合的な学習の時間」への図工の時間のふりわけ。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/artcommunal/

受験に関係のない教科は削減、という保護者や社会のニーズというシナリオではないかと思っています。
僕にしてみると、図工の時間を減らすことで得られるメリットが、本当に分からないのですよ。

投稿者 corvo : 2007年02月13日 22:53

corvoさん、ご無沙汰してます。
どうも時間がなくて、フォーラムの事や皆さんのコメントを
読みきれてないので、流れに合わない発言かもしれませんが
お許しください。

>作品が出来上がった瞬間、その作品の作者であり芸術家になれる。

すごく納得しました。
僕自身は学校の教育プログラムに関しては基本的に
「子供主体であれば後はどうでも良い」と思ってます。が、
最近の「ゆとり教育」~「ゆとり教育見直し」の流れは、
大人主体というか、大人の勝手がすぎているように思います。
「ゆとり教育」を取り入れたら子供がバカになったと
よく言われますが、未だに成績のものさしだけで子供が
評価されたり、ゆとりとは程遠い状況が色濃く残ってます。
その上、「ゆとり教育見直し」として、更なる成績第一教育が
始まると、以前にまして「ゆとりが無い」状態になりそうです。
あんなやり方、こんなやり方とコロコロと制度を変える事こそ、
「忍耐力がないな」と思ったりもします。教育も忍耐が必要でしょう。
この状況では当然、忍耐力のある子供は育ちません。
つまるところ、大人のほうにゆとりが無いんじゃないかと思うのです。
(話がそれましたね。汗)

僕個人は基本的に、学校でなくても子供は育つと思います。
なかなか学校意外の場で子供が集団で活動するというのは
イメージできない方も多いと思いますが、実際は可能ですので。
また、学校のプログラムにも逆らうくらいの個性的な人間がもっと
育っても面白いのではとも思うのですが、そんな僕も、学校での
芸術系の時間の削減が良い方向に向かうとは全く思えません。
「時間をかけて作品に取り組む」という経験は、なかなか
できるものではありません。せめて週2時間くらいは保障してほしいです。
もっと多くても良いとさえ思えますが。。


あ、あと、別の記事になりますが、
一連のお仕事の完成!おめでとうございます!!
「すげーっ!」と思って拝見してました。

投稿者 SHINZEN : 2007年02月13日 23:04

何かやりたいことがあって、そのための道具を手でつくる。さらに使いやすいように改良していく。 
この作業は人間の文化の原点だと思いますし、それを体感できる授業の一つが図工だと思います。

パソコンが身近になって、すっかり手で字を書く機会が少なくなっていますが、そんな時代だからこそ「手で何かをつくる」ことが重要になってくると思います。停電になってパソコン使えなかったら、なーんもできん。そんな人間には誰しもなりたいと思わないでしょうから。

投稿者 kawaberry : 2007年02月13日 23:17

 ニヤゾフさんの率直なご意見はある意味で的を射ています。やはり現場で教育を受けている人の感覚はリアルですね。
 私は個人的には、自分の子ども(小4)が小学校で受けている音楽の授業はあまりにレベルが低く、しばしば有害とすら感じます。これは、自分自身が音楽の専門的教育を受けたからそう思う、という理由だけではありません。そもそも、いまの日本の初等教育で取り上げられている音楽とは「西洋古典音楽」という異文化なのです。「西洋古典音楽」、これは一般的日本人にとってあまりに敷居が高い。楽譜の読み方をマスターし、全世界的にみれば非常に特殊な理論体系でまとめられた音階と和声のしくみを学ぶ。幼い頃から「五木の子守歌」や「花いちもんめ」で育ってきた子どもが、小学校「音楽」の授業でいきなり1オクターブ12等分に調律されたピアノと五線譜で教育されるという事態は、かなりの違和感があるはずです。人が異文化を学ぶにあたっては、強力な動機が必要です。すなわちその異文化が素晴らしいものである、という認識が不可欠なのです。ところがこの「動機」が十分に与えられない。グレゴリオ聖歌もバッハのオルガン曲も18世紀の名曲も知らず、ロマン派のオペラも観たことがない子どもたちが、音楽の時間に最近のアニメソングやアイドルグループのヒット曲に適当な和声をつけたものを歌わされる。正しい姿勢も発声法の指導も抜きで! そんな授業が楽しいわけがありません。これは図工に対抗して「がんばれ!音楽の時間」という運動が起きない理由のひとつだと思います。「西洋古典音楽」は、時間芸術としてはまあまあ学びやすい理論体系を備えているからという理由で、西洋以外の国でも教育に取り入れられているに過ぎない。それこそ音楽を「将来役に立つ」ように学びたければ、よい教師を探して個人レッスンを受けるしかありません。しかし音楽教育とは本来そうしたものなのです(「西洋古典音楽」に限らず、です)。
 それでも私は「音楽の授業不要論」に賛成しません。少し前に、子どもの学校で音楽発表会がありました。音楽の授業では本番に向けて、ある曲を練習していました。休み時間になると、誰かがその曲をリコーダーで練習し始めます。続いて、ひとり、またひとり、自分の楽器を取り出して皆が旋律を合わせていきます。そうして気がつくと、教室全体がひとつのアンサンブルを奏でていた・・・こんな話を子どもから聞くと、単純に「いい話だなぁ」と思ってしまうのです。実際に楽器を演奏した子どもも、それを聴いていた子どもも、そのときその場で同じ「アンサンブル」を共有したはずです。アンサンブルensembleは「一緒に」「全体」「集める」「集合」などの意味を持つフランス語。異なるものを合わせて「調和」に至る過程を体験することが出来るという点で、「図工」「音楽」「体育」の授業は初等教育において不可欠であると思います。
 とりとめもない文章で恐縮ですが。ってゆーか、フォーラム参加したんだから自分とこで書けよ!・・・と、言われる前にセルフ突っ込み・・・数日中に書きますです、ハイ。

投稿者 yoiko : 2007年02月13日 23:23

corvoさん
>保護者や社会のニーズ

1970年生まれの僕は自分が受けてきた教育に対して肯定的に捕らえられません。いま子供を教育している保護者や社会の中軸は、そんな僕の世代の前後だと思います。

今の子達を作った人達に何が欠けているんでしょう?そこから考えないと何も変わらないと思うんです。

投稿者 アイスストーン : 2007年02月13日 23:59

corvoさん、みなさん、このブログのコメントは本当に本当に参考になります。さて、時間数のことで少し、教員をしている山崎の方で補足させていただきます。
基本的にCORVOさんの解説の通りですが、中学校では選択教科というのが入ってきます。これも大きいです。
 さて図工や美術だけが減らされたわけではありません。ただ削減率が一番高いのは図工・美術・音楽なのです。ただ教科の特性から言いますと、ここでも何度か出てきた話題ですが、準備と後片付けの時間を含めてです。
 中学校の美術の時間は1年生が週1時間+α(年間45時間)、2、3年生が週1時間。
http://yumemasa.exblog.jp/5501844/
これで例えば水彩画を描くとします。水や絵の具の準備が入りますし、継続して描きますので、描いている画用紙を配布します。後片付けをします。50分から、この時間を引きます。教師が何も話さないとしても…一体何分かかるのか…教師が話さないわけはないですね。
 私が教師を始めた頃は授業時間数が1年生、2年生で2時間。つまり2時間続きの授業が出来たのです。この差は非常に大きいです。
で、なぜ今声を出しておくかというと今の流れのままでいきますと、時間数削減をするとしたら、やはりそこに優先順位が出てきます。
マスコミが「学力低下論」を大きく取り上げてきたからと私は見ています。例えば円周率は3で教えることになった(間違いですが…)、大学生が分数をできないなど…これを大きく取り上げました。そこに来て国際額力比較。小学校に英語を入れるかどうか?もし入ればどこを削るかという話になります。
 実は文部科学省の諮問機関である中央教育審議会では「芸術教科も大事に考えている」とか「芸術教科の選択教科化は好ましくないという意見が出ている。」と言ってくれるようになりました。
http://yumemasa.exblog.jp/4513281/
 しかし、昨年秋、中央教育審議会という諮問機関がありながら、総理の指示で「教育再生会議」が出来ました。
実はこの会議、マスコミや政治的な利用からもう中央教育審議会よりも目立った存在になっています。
 その教育再生会議の一次報告というのが出ました。
http://yumemasa.exblog.jp/6392071/
実は今ここの影響力が心配です。もう今の学校は駄目(私も含みます、涙。)だから、立て直してやるということでしょう。
いきなり「反復練習」ですから…
で、どうするかですが、ここが意見募集をしています。とあるスジから得た情報ですと、ここへの意見はそんなに出ていないようです。ですから意見を出す場合は効果的かもしれません。
 発言からして、教員の意見は冷ややかに受けとめられる可能性が高いです。それこそ、総理が使う「世論」ですね。これが大きい。
意見は記録されてメンバーに配布されるでしょうから。
ただみなさんがご意見を出される場合は先方もプライドがありますので、発言の仕方を気をつけないと、逆効果ですのでご注意ください。
 さて教科のどの時間を減らすかと言われた場合、私は中学校ならば選択教科をやめる。小中ともに総合学習の時間を減らし、教科にまわすという考え方をしています。
あー、長くなってしまいました。
 世論として「教育再生会議」への意見送付が大事かと思います。

投稿者 山崎正明 : 2007年02月14日 00:09

なんだか、ついつい長くなってしまいました。すいません。
ただ最近corvoさんのところに来られた方に、過去のことを少し話させてください。
05年秋、図工美術教育の大切さを訴えるという主旨でネット上でご意見を募集し、それをまとめ、製本し、中央教育審議会のメンバー全員に送付したということがありました。当時の会長からご返事をいただいのですが、「貴重な資料ですので事務局に届けます」という言葉も添えられていました。きちんと扱うという意味です。
CORVOさんをはじめ、このブログの読者のみなさんの声も届けさせたいただいたわけです。
教師意外の声がのっていたのは非常に大きかったのです。その中心となっていただいたのが、鴉工房でした。感謝。
http://yumemasa.exblog.jp/3934494/
で、今度は現場の声も届けようということで以下のことをしました。
http://yumemasa.exblog.jp/5836788/
これも反応がありました。
これらがきっかけとなり、昨年秋、国会の場で議員さんが、芸術教科を大事にすべきであると、中学校での授業時間数を例に取り上げながらご意見を述べてくださいました。(テレビ中継もされました)
少し、報われた気がしましたが、その後、教育再生会議では理数系重視(塾に行かなくてもよいようにする?!)となったわけで、大変な感じです。
長々と失礼しました。

投稿者 山崎正明 : 2007年02月14日 00:45

>SHINZENさん
僕もなかなかレスがかけなくて、遅れ気味です。
大人にゆとりがないというのは、多分現実なような気がします。
子どもの学力自体が落ちたという指摘がありますが、実際極端なほど悪いかというとそうでもないわけです。一方、日本人の大人の学力というのは、世界的に見ても相当に低いということです。納豆で踊ってしまうわけです。お水様に騙されるわけです。

>僕個人は基本的に、学校でなくても子供は育つと思います。
なかなか学校意外の場で子供が集団で活動するというのは
イメージできない方も多いと思いますが、実際は可能ですので。

やはり経験者の言葉は説得力があります。
学校であっても多様性を許容できる場であるのが、理想的ではないでしょうか。
これまでの教育が良かったわけではないし、反省すべき点は反省し改良していくべきでしょう。
でも、そのために図工の時間を削るのは、おかしいのではと思うのです。

>kawaberryさん
手を動かした実感がともなって初めて、パソコンをつかった操作も生きてくる部分があると思います。
小学校でいくらパソコンの使い方を教えても、数年もたてば古いものになっているでしょう。身近に感じるという点では良いかもしれないのだけど、パソコンもあくまでも道具であり、ネットは社会システムであることを理解するべきでしょうね。
他の道具を使ったりすることと、人対人の関係と同じことだということを分かっていてほしいと思います。

>yoikoさん
さすがに専門家の意見は勉強になります。
正直、僕も音楽の授業は嫌いでした。

>音楽の時間に最近のアニメソングやアイドルグループのヒット曲に適当な和声をつけたものを歌わされる。正しい姿勢も発声法の指導も抜きで!

さすがに僕らのときはこんな授業はなかったと思いますが、非常に敷居の高いものだという感じはありました。ピアノを何年も習っていたのに、まったく身に付きませんでしたもの。
図工にも音楽にも体育にも、もっと工夫の余地がたくさんあるのでしょうね。

>アイスストーンさん
僕は1969年生まれなので、ほぼ同じ教育を受けてきたのでしょうね。
高校で落ちこぼれているし、絵を描いて大学受験という、一般的にはとても特殊な生き方をしてきているのですが、受けてきた教育に関しては、肯定する部分よりも否定的になる部分が多いのは確かです。

>今の子達を作った人達に何が欠けているんでしょう?そこから考えないと何も変わらないと思うんです。

その世代だけが問題というわけでなく、日本の近代化の歴史とあわせて考えていく必要があると思います。

>山崎正明さん
どうも詳しい解説ありがとうございます。助かりました。
僕自身も、少し整理出来ました。
山崎先生と関わって、足掛け2年になるのですね。これからもよろしくお願いいたします。

投稿者 corvo : 2007年02月14日 15:17

この場で音楽の授業の話を続けるのも何か気が引けますが、音楽についてのいくつかのご意見がいささか意外だったので、一言だけ失礼します。
私は音楽の時間にはあまり実技をやらされたという記憶がなく、もっぱら鑑賞を楽しむ時間という感じで、どちらかというと国語の時間に近い感覚でした。民謡を聞く時間もありましたし、物語性のあるクラシック音楽を、教師の解説を聞きながら鑑賞するのはとても楽しいものでした。(むろん退屈なときもありました)音楽家の肖像が総じて変なのも面白かったですし(笑) 
以上 音楽の時間が好きだった派の感想でした。

投稿者 田中清代 : 2007年02月14日 19:41

山崎さんの言及された「教育再生会議」の書類をざっと見てみましたが、なんだか気が重くなる内容です。いじめを重罪としてさばいても、その抑圧はまた別の問題を生みそうです。ため息が出ます。「美しい国」というのも抽象的すぎて、恐ろしいような言い回しだと思います。
求める結果はおそらく、海外に示して誇れる、学力テストの点数なのだろうなあ。学力が上がった末にどんな「良いこと」があるのでしょう…。養老孟司ふうに言うと、これも当事者はそれとは気がつかずに「戦争」をしているということなんでしょうね。

投稿者 田中清代 : 2007年02月14日 19:59

田中さんの言われる通りだと思います。企業やエリートとして育って来られた側の論理ではすばらしいことになるのでしょう。
またこれと関係の深い教育再生機構の発言はもっと過激です。
再生会議では教育学ということが軽んじられているのか、あるいは無視されているのか…
CORVOさんのブログは、私に物事を多角的にとらえる視点をつくってくれるような気がします。感謝。そう言えば、足掛け2年ですね。

投稿者 山崎正明 : 2007年02月14日 23:24

>corvoさん

たった一年違いですが、実はジェネレーションギャップのようなものを感じています。体験談を基に色々突き詰めてその違いを確認したい気持ちもありますが、そうすると個人的に余り触れられたくない部分まで含まれてくるので難しいかもしれません。

某ヒルズ族の元社長を見て「ああいうやつ小学校(または中学校)にいたよね、今も沢山いるんだろうな」と感じた事があるかないかというのも一つのキーになるかもしれません。

もし違いがあるとしたら地域要因かもしれません。

僕が知っている昔は学校の評価軸は偏差値と内申だけです。今もさして変わらないでしょう。親も子も多くがそういった目でしか学校と接してないと思います。

投稿者 アイスストーン : 2007年02月15日 00:31

>田中清代さん
音楽を聞くのは好きだったのですが、音楽で表現となると苦手でした。
美術ももっと鑑賞の授業時間を増やせると良いのでしょうね。

「教育再生会議」の書類は僕もざっと目を通してみましたが、子供も教師も管理する方向にいっているように思います。窮屈でがんじがらめで、ますます抑圧されてしまうのではないでしょうか。

>山崎正明さん
これはあまり良い方向でないなと感じます。
教育って、もっと放ったらかしで、無駄な部分というのが大事だったりすると思うのです。けっこうやる気なく見える教師が、ここ一番で好い事言ったり、反面教師になる人がいたり、そんなものがないまぜで良いのでは、なんて言うと乱暴でしょうか。

>アイスストーンさん
僕は60年代の最後なのですが、大学ですごくそんな感じを受けた覚えがあります。70年代生まれから、がらっとメンタリティが変わったような気がしました。

>某ヒルズ族の元社長を見て「ああいうやつ小学校(または中学校)にいたよね、今も沢山いるんだろうな」と感じた事があるかないかというのも一つのキーになるかもしれません。

そういえば、地方だったこともあるのでしょうが、ほとんど記憶にないですね。いなかったような気がします。まず、たくさんはいなかった。
偏差値というものが、浸透する過渡期だったのかもしれません。
ひとつの目安ぐらいにしか、思ってなかったかも。高校に行くとさすがに、そういう感じではなかったですが。
中学は休み時間にトイレに行くと、10人ぐらいでタバコ喫っているという学校でした。それが普通で、それなりに共存していたのですよね。

投稿者 corvo : 2007年02月15日 02:48

アイスストーンさん>
はじめまして。私は1972年生まれ埼玉県育ちです。思い起こせば、学力テストの偏差値というものが中学のときからありました。でも、中学では、成績のいい子には教師はこっそり声をかけるもの(特殊な進学などを奨めるために)であって、あまり教室のなかでランク付けのプレッシャーを受けたということは無かったように思います。地域差でしょうか。教師は若い人も多かったのですが。

corvoさん>
>美術ももっと鑑賞の授業時間を増やせると良いのでしょうね。
ここは大事ですね。何事も感じる楽しさと、読みとる面白さを含んでいるのですから。

山崎正明さん>
>企業やエリートとして育って来られた側の論理ではすばらしいことになるのでしょう。
わかりやすいですね。そういう意味では、とてもシンプルな内容かも知れません。書類の内容は、都合の良いところさえ抑えられれば、他にしわ寄せが行っても良いということをハッキリ示していたと思います。

投稿者 田中清代 : 2007年02月15日 10:42

>田中清代さん
エリートとはなにか?といった定義も甘く、本質的なエリートからは遠い所にいる人たちのような気がします。
自分たちが良ければいいという考え方は、決してエリートの考え方ではないと思います。「社会や組織の指導的地位」にあるということは、それだけの重い責任を担っていることと同義です。
本当のエリートであるなら、隅々まで気を配って、社会をミスリードすることのないよう努めるべきです。

投稿者 corvo : 2007年02月15日 16:22

>corvoさん

うーん、ちょっと違います。
何故ジェネレーションギャップのようなものを感じるのか考えてみましたが、恐らく僕のいた中学校は悪い意味で進んでいたんだと思います。

1クラスに不登校の人が一人前後いるような状況でしたし、学校は業者テストと癒着していたので偏差値至上主義が普通だと思ってました。

ちなみに、18歳位の時に別の高校に行った同じ中学を女の子に聞いたのですが、僕がいた中学は県下屈指の普通科バカ県立高校(しかも2校)に入る生徒を沢山輩出しているバカ中学だったらしいです。僕の5歳下の弟はその「普通科バカ県立高校」の一翼に入りましたが、中学の時は偏差値40前後だったにも関わらず、高校に入ったら何もしないの学年トップクラスになりました(入学早々人生初のテストで百点満点を取って本人がビックリしてました)。

>田中清代さん
ズバリ地域差だと思います。

今住んでいる場所の学校もどうやら凄いらしいです。確かにそうなる要因沢山あります。上の子が小学校に入る前から私立中学に入れようか妻と話し合ってます(私立小学校は通える場所にありません)。

投稿者 アイスストーン : 2007年02月17日 01:00

>アイスストーンさん
うちの中学は荒れていましたが、どこも似たり寄ったり。どの中学にも勉強のできる奴が居て、悪もいたという感じだったと思います。
公立の場合、地域差が大きく反映するのでしょうね。
よく分からないというのが、正直なところです。

投稿者 corvo : 2007年02月17日 01:41

私は、小学校での教育に「損得勘定」を入れないでほしいと思います。
学校の中でいろいろな体験をして、その中で何か一つでも好きになる事が出来ればそれを楽しみにして人生を送って行けます。その好きな事は一銭のお金も生まないかもしれません、でもそのために生きて行こうと言う動機にはなるはずです。
いじめをなくす事も大事だとは思いますが、生きていたいと思わせる事の方がもっと大事なのでは無いでしょうか?
「>企業やエリートとして育って来られた側の論理」の中では無駄に思える事も教えてあげてほしいです。

投稿者 umr : 2007年02月18日 04:41

>umrさん
「損得勘定」を全面的に肯定するわけではないですが、考え方としては必要だと思っています。

>その好きな事は一銭のお金も生まないかもしれません、でもそのために生きて行こうと言う動機にはなるはずです。

そういった趣味をもつことも大事ですが、好きなことで社会貢献出来る事の方が、もっとすてきではないでしょうか。
楽しみだけで生きて行ける社会は豊かな先進国だけであって、そうではない国もたくさんあるわけです。僕は子供の時から、職業人としての自覚を促すような教育も必要ではないかと思っています。

投稿者 corvo : 2007年02月19日 00:00

そうですね、好きな事で社会貢献できる方が当然すてきです。
私自身も物を作る事が好きで結局そう言った仕事をしています。

いろいろ事情はあるとは思いますが、自ら命を絶ってしまう人たちにも何かよりどころになる物が在ったら違う結果になるかもしれないと思い書いてみました。

投稿者 umr : 2007年02月19日 06:35

>umrさん
僕は物を作る仕事につくとは、実は思っていませんでした。
子どものときから、多くの可能性があることを知っていたら、今の生き方に もっとプラスになっていたように思います。
まずは大人がしっかりしなくてはと思っています。

投稿者 corvo : 2007年02月20日 21:12

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