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2007年2月12日

がんばれ!図工の時間フォーラム 2

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前回のエントリーではたくさんのコメントをいただき、大きな反響があった。
このblogへコメントを寄せてくれる方は、美術教育を肯定的に捉えており、「図工の時間が削減されることはとんでもない」という意見を表明してくれている。ここがアートブログであり、僕が絵描きであることから、一般的な社会情勢からは偏っているのかもしれないのだけど、小学校教育の現場にいないものとしては、もうひとつその危機感を実感することができない。
しかし、「図工の時間」を減らしてもなんらメリットはなく、人間形成においても悪影響があるとしか、僕には考えられない。

フォーラムでのパネリストの発言に、図工の時間を経験することでクラスメートについての理解が深まるのではという話があった。普段、あまり目立たないのだけど、図工の時間になると生き生きとその能力を発揮する子供たちがいたりする。物を作ったり表現したりする行為には、その子供の持っている様々なことがないまぜになって立ち現れてくるものである。そうすると、普段見せていなかった一面を発見したり、それがきっかけで仲良くなったりすることがあるだろう。
これは得意不得意、上手い下手といったこととは関係なく、自分とは違う人間がいることを認識することにもなるし、表現の多様性を実感することにもなる。一人の人間が、作品を完成まで責任をもって作ることができる「図工」という時間は、かけがえのないものだと、僕は思う。
前回のエントリーのコメントでも書いたのだけど、「図工の時間はだれもが主役になれる瞬間なのだと思います」。それは多くの楽しみとともに、苦しさもあるのだけど、工夫したり、質問したり、友達と相談したり、素材と格闘したりすることで、他では経験できないことを得ることができる。
算数で100点をとっても、その時点では数学者ではない。理科で100点をとっても、その時点では科学者ではない。国語で100点をとっても、その時点では文学者ではない。でも、図工の時間は、作品が出来上がった瞬間、その作品の作者であり芸術家になれるのである。そんな素晴らしい機会を子供たちから奪うことはできない。
だからこそ、図工の指導、評価は難しい。ひとりひとりが独立した作者であることができるように、教師は気を配らなくてはならないだろう。そんな自信を子供達一人一人が持つことができる授業が理想的なのかもしれない。

フォーラムの後、ティーパーティーで友人と話をしていたのだけど、極論ではあるが学科というのは、学校でなくても習得出来るのではないかということである。経済的な負担を度外視すれば、塾もある、家庭教師もいる、教科書や参考書を使って自習することも出来る。しかし、図工や音楽や体育のようなものは、学校でなくては経験することができない。ピアノ教室や絵画教室のような個人的経験ではなく、友達同士で作品を見せあったりする行為が重要なのである。
そう考えれば、「図工の時間」を削減することが、どれぐらいナンセンスなことか分かるだろう。学校でしか実現することができない授業を減らし、学校以外でも習得が可能な授業を増やすことに意味はない。

とにもかくにも、削減された「図工の時間」を取り戻さなくてはならない。
もし、この考えに反対される方があったら、その意見もお聞かせ願いたい。「図工の時間」を削減しても良いと思っている方のコメントも歓迎です。

投稿者 corvo : 2007年2月12日 23:56