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2007年1月 8日

「論座」2007年2月号

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1月4日に発売された「論座」に「ニセ科学を考える」が特集として組まれている。実は「論座」を買うのはこれが初めて。
執筆陣は、菊池誠(大阪大学教授)、田崎晴明(学習院大学教授)、左巻健男(同志社大学教授)、山形浩生(評論家、翻訳家)の4名である(敬称略)。菊池さんもご自身のブログで告白されているのだけど、主に「水伝」がその対象となっており、「ニセ科学」全般に対して網羅的な内容ではないが、非常に読みやすいテキストなのでおすすめである。NHKでの「視点論点」に続き、多くの人が目にする媒体で扱われる事は重要なことである。発行部数も多く、小さな書店でも普通に入手できる雑誌で、これだけの特集が組まれた意義は大きいだろう。
内容についてはここでは触れないが、菊池誠氏、田崎晴明氏、両名による「Dear Yoko,」は、この特集の中でもっとも重要なテキストであると思う。
以前、このblogでも紹介した「オノ・ヨーコからのクリスマス・メッセージ」に対する、真摯なメッセージである。
科学者だけでなく、表現者である人間が、「水伝」なるものを信じてしまう事には大きな危惧を感じる。言葉や人間の感情の持つ豊かさや複雑さを、一刀両断に蔑ろにしてしまう「水伝」を僕は決して認める事は出来ない。「オノ・ヨーコ」という影響力の大きいアーティストが、「水伝」は素晴らしいことだと世界へメッセージを送った事にショックも受けたし、失望もした。本来なら心ある表現者から、彼女へメッセージを出すべきだったのかもしれないが、ここでも科学者に先を越されてしまった。
少しでも表現に携わる人間なら、「水伝」は無視出来ない問題として捉えるべきだろう。

「水伝」をきっかけに交流を持つようになったblog「Interdisciplinary」で気になったエントリーがあった。問題はそのリンク先なのだけど、若いときにはこういった考えを持って、何事にも反発したくなる気持ちも分からないではない。少なからず、僕にも経験があるし。
ただ、それで大きな損をしてきたのは確かだと思う。もっと素直であれば、遠回りをしなくても良い事が多々あっただろう。
読んでいて、ちょっと美術教育について考えるきっかけになったので書いてみる。
美術は作品を作るという体験をすることができる教科の一つである。得意な人間も不得意な人間も、一定数の時間に集中して自分の作ろうとするものと対峙しなくてはいけない。一朝一夕に答えが出るものではなく、多くの時間とエネルギーを要求される。結果がどうであれ、「完成させる」という経験を積む事が出来る希有な教科なのだと思う。
そんなとき、先達が残してきた作品を見る事で、自分の至らなさ、拙さを痛感し、先人の残してきたものに対して尊敬の念を持つ事が出来る。
受験をするという事だけを考えると、学科の履修というのは、受験にとって必要か不必要かという尺度ではかられがちになるだろう。しかし、それらの学科であっても、偉大な知の先達の存在があったからこそ、僕たちは知識として身につけることが出来るのである。
美術教育の要不要の議論になったとき、他の教科にも役立つ部分がある、という主張になりがちであるが、先達と自分との大きな差を実感する意味でも、意義のあるものではないだろうか。確実に謙虚になることができる。
スポーツにもそういった部分があるだろう。絶え間ない努力をしているアスリートにかなわない事を知るから、敬意を払う事が出来る。

しつこいと思いながらも、また「水伝」についてのエントリーを書いてしまった。
色々と示唆に富んだ教訓を含んでいる事象なのかもしれない。

投稿者 corvo : 2007年1月 8日 01:36