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2006年7月31日

理想のクロッキー会

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先日のヌードクロッキーのエントリーは、多くの反響があった。コメンターの一人である「失敗だらけだフニャさん」のblog「芸術的イエローカード」のエントリーでも、今回の顛末について取り上げていただいた。コメントを残してくれた人は、僕の主旨に賛同してくれる人たちばかりだったのだけど、mixiコミュの掲示板では反対の意見もあった。「コミュニケーションの方法」に対する意見である。「その場では声を出さず、主催者にだけ伝えるべきだ」「皆の前で声を出すことで、参加者が萎縮してしまう」こんなところである。
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この話題は今回で終わりにするが、では、どうすれば理想的なクロッキー会になるのか。
明確なルールを示して、参加者に周知徹底してもらことだ。
ルールといってもたいしたことはなくて、次の3つぐらいあれば大丈夫なはずである。
1.遅刻しない。遅刻した場合は、休憩時間になるまで待つ。
2.モデルのポーズ中に入退出しない。
3.モデルへの挨拶をかかさない。
こんなところかな。これを読んでみるとはっきりするのは、ごく日常的にまもらなくてはいけないことばかりだ。「モデルのポーズ中」というのは特殊な状況かもしれないが、学校の授業や仕事の打ち合わせで遅刻したり、途中で入退室することがルール違反であることは明白である。もちろん体調不良など、やむをえない場合はその限りではない。
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特にヌードクロッキーの場合はプロのモデルを使うのだから、開催の方法はプロに合わせるべきである。これは何も難しいことではなく、ルールをより明確にシンプルにするために必要なことである。クロッキーには、これまで連綿と続いてきた歴史があり、方法がある。僕もそれに倣って、クロッキーを行い、モデルへ接してきた。これを知らないアマチュアを基準にしようとすると、様々な弊害が出てくる。アマチュアにはアマチュアの数だけ、ルールと方法論が存在してしまう。毎回、この基準に合わせるなど、到底無理だろう。だから、プロの基準に合わせるべきなのである。
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一般の人が参加するクロッキー会には、悲しいかな興味本位で来ている人もいるという。だからこそ、きちんとしたルールを示して、それに従えない参加者は排除していくしかない。参加費を集めるために、多くの人に参加してもらう必要があるかもしれないが、最低、何人集まればペイできるかという線がはっきりしていれば、むやみに人集めに走ることもないだろう。その線をもとにして、多く人数が集まれば、参加費を安くすることもできる。
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芸術表現には、様々なものがある。舞踏、音楽、美術、文学等々。そんな中でも美術表現は、もっとも自由度が高いかもしれない。しかし、これには弊害も多いと僕は考えている。舞踏で先生の言うことを聞かずに自由に踊ったら、怪我をする危険性がある。身体の故障によって、将来の望みを絶たれるかもしれない。正確な指の運びができなければ、楽器を演奏することはできず、歌うには正しい発声も必要である。文章を書くためには、文法を理解していなくてはいけない。こういった基礎的訓練の部分が、美術だけないがしろにされていると感じている。
絵を描くにも正しい姿勢がある。正しい道具の使い方がある。基礎的な訓練を積めば、その先にある自由を手に入れることができるのに、最初から自由、自由では、表現手段の選択肢が少なくなってしまい、何も出来なくなってしまう。
基礎的な訓練の大切さを、クロッキーを通してあらためて実感したのである。
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投稿者 corvo : 2006年7月31日 11:59