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2005年09月10日
猫のskull 06
猫のskull完成。
サイズは270x370mm。素材は紙にアクリル、透明水彩。

画面全体。のびのびというか、無駄というか、異様に背景が広い。

skullの部分だけを切り取ったところ。

さらにディテール。タッチはこんな感じで入っている。
今日は昼間にカナダの友人とskypeで会話。インターネット網を活用した無料電話サービスだが、これが非常に便利。
電話代を気にせず遠方と会話することができる。パソコンを立ち上げて、そのそばにいなくてはいけない制約があるが、音質も問題なく会話を楽しむことが出来た。
明日は総選挙。朝から選挙に行ってきます。
投稿者 corvo : 2005年09月10日 18:23
コメント
この背景のスペース、すごい! 感じ入りました。
真ん中に頭骨をレイアウトしないことで不思議なバランスが生まれ、背景が饒舌と言いたいほどに雄弁になりますね。
成仏できない霊が骨に宿って動き回っているようにも見えるし、特撮映画みたいに、肉がぐわーっと生えてきて生物として猛々しく動きだしそうでもあり…。今ちょうど「幻視者」と呼ばれる作家のすごい本を読んでいますが、「幻視」に誘われます。
こういう背景がストーリー性を持つことってあるのですね。
投稿者 中村びわ : 2005年09月10日 19:47
中村びわさん>
構図を決めるのはわりと無頓着で、ちょっとアンバランスな配置にすることが多いです。実はこの絵を使って、絵本がつくれないかと考えているのです。
狼も黒い背景で制作します。
しばらくは黒い背景のskullシリーズを制作しようと思っています。
投稿者 corvo : 2005年09月10日 21:40
何か宗教的なものを感じる・・・
・・・・・・何かありますね、これ。
投稿者 ニヤゾフ : 2005年09月11日 14:11
ニヤゾフさん>
描き手としては、宗教性はまったく入れていません。
ただ描くことに徹してみようと思い、制作しました。
まずは同じシリーズで10点ぐらい並べてみたいです。
投稿者 corvo : 2005年09月12日 12:02
俺やっぱり最近頭がおかしくなって来t(ry
投稿者 ニヤゾフ : 2005年09月12日 17:30
この「哺乳類の頭蓋骨シリーズ」は企画段階からお話を聞いていて、
こういう絵になることは知っていましたが、
実際に画像で見てみると新たな発見があるものです。
今回は絵としての評価とは別の視点からコメントをさせていただきたいと思います。
たまに「写真のように上手い絵」なんて褒め言葉?を聞くことがありますが、
「カメラ」≠「画家」
「カメラ」=「筆や絵具」なのであって、
カメラ自体がそれほど絵が上手い訳ではありません(変な日本語…)。
ただ厄介なのはカメラは勝手に動く道具なので、
なにも考えずに写真を撮ると全ての「情報の価値」が均一に二次元化されてしまいます。
なに当たり前のこといってんの?と思われるかも知れませんが、
「価値が均一化された情報」というものは非常に扱いづらいものです。
身近な一番よい例がインターネットです。
Web上には大量の情報がありますが、
自分が必要とする情報を得る為にはそれなりのスキルが必要です。
同様に骨や化石の写真も多くの情報を内包しているのでしょうが、
そこから有益な情報だけを引き出すことはそれなりのスキルと経験が必要なので、
同じ写真を見ても、読み手次第で受け取る情報量は全く違うことになります。
「情報がある」ことと「使える情報」とは全く別の意味を持ちます。
つまりこの絵は、小田隆という優れた読み手が、
大量の視覚情報を咀嚼し、整理分類し、再構成したことにこそ、その「本質」あって、
絵画としての完成度や描写力の高さは手段のための必須条件でしかないのだと思います。
そう考えるとバックを全面漆黒にしたことは、
作者の嗜好とは全く切り離されたただの必然なのではないかと思えてきます。
適切に整理された情報はスキルも経験もないものにとっては
わかりやすい「入門書」となることでしょう。
「入門書」の後に実物という「専門書」を見れば、いきなり専門書をみるより、
たくさんの理解が得られるのではないでしょうか。
投稿者 nijntje : 2005年09月15日 15:45
nijntjeさん>
熱のこもったコメントありがとうございます。
最近は恐竜の記載論文なども、写真を使ったものがほとんどになってきました。
恐竜研究の黎明期のころは、技術的に優れた描き手が図版を制作していました。それらの図版はその標本の立体を手に取るように感じることが出来ます。
しかし、写真ではうまく立体をつかむことができません。
もっとも写真というものは光をとらえているだけで、立体をとらえているわけではないので当然なのですが。
同じモチーフを描いても、作者によって結果が違うのは、何を選択してくるかの違いだと思います。またどこまでモチーフを認識しているかの差異もでてきます。
頭骨のシリーズでも、写真を撮るようにまったく対象と同じに描くことは目的にしていません。
投稿者 corvo : 2005年09月16日 00:40


