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2006年8月 3日

WBAライトフライ級王座決定戦・追記

昨日の試合から一夜明けても、物議をかもし続けている判定の結果。とっている日経新聞のスポーツ欄ですら、否定的な論調の記事である。
僕は未経験者なので、ボクシングの動きがどういったものかということは、完全に理解できるわけではない。ただ、美術解剖学や人間の身体の仕組みを、多少はかじっている視点から考えてみたい。
人間は頭が一つ、胴体も一つ、腕は左右に一本ずつ、脚も左右に一本ずつ。この肉体を駆使して闘うのが格闘技である。ボクシングは腰から上の部位を、両手の拳を使って打撃を与える競技だ。肉体をつかう以上、人間の肉体の持つ制約を超えることはできない。関節があり得ない方向に曲がったり、腕が伸び縮みすることは決してない。ということは、全てのパンチの軌道は論理的に理解できるだろう。そこにフットワークやフェイントなど、様々な要素が絡み合って攻撃のパターンやディフェンスが選択されるのだと思っている。当然、その日のコンディションや試合中の疲れなどから、微妙な狂いが生じたり、またそれが悪い方向にいくこともあれば、良い方向にいくこともある。そんなぎりぎりのせめぎ合いを、ボクシングの中に見ることが好きなのである。殴り合うというシンプルで暴力的なスポーツかもしれないが、その裏には非常に科学的で知的な積み重ねがある。

僕はこのblogでも基本の大切さや、アカデミズムの重要性をしばしば書いてきた。今回勝った亀田選手の父親は、プロとしてのボクシング経験がないままに、自分の理論だけで子供たちを鍛えてきた。そこには、プロでは思いもつかない優れた練習法があるのかもしれないが、総合的に見たとき僕が非常に懐疑的である。
テレビで練習中のほんの触りの映像しか見たことがないが、長い棒の先につけたグローブやピンポン球を避ける練習には違和感を感じた。人間の身体の構造上、棒が伸びるような動きは出来ない。ピンポン球も然り。反射神経の訓練になるかもしれないが、目で見て、脳に情報がいき、身体へ指令が行くまでには、どんなに訓練しても超えられない壁がある。ボクサー同士は、相手の身体の動きや、パンチの軌道を観察した上で予測し、この速度の壁を超えた動きをしているのだと思っている。見ているだけでは追いつけない動きをやすやすとこなし、パンチをヒットさせたり躱したりして試合を作っていく。そんなプロの試合が見たいと思っている。亀田選手は昨日の試合を見た限りでは、人間の身体の動きを理論的に理解できていないのではないかと、思わざるを得なかった。
やはり、プロの優れたトレーナーについて、みっちりと基礎からやり直すべきではないだろうか。それに耐えて、習得出来るだけの立派な土台はあるのだから。
でも、昨日彼は「親父のボクシングは世界に通用する」と発言した。勝ってしまったから。負けた方が、何倍も本人のためになっただろう。僕は、これで強くなるチャンスを、全てドブに捨ててしまったように思えてならない。

あらためて基礎の大切さ、考えることの大切さを実感した試合だった。そういった意味では収穫はあったのかもしれない。
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投稿者 corvo : 2006年8月 3日 11:33