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2005年10月15日

美術の授業2

昨日も週一の非常勤講師の日であった。
コメントで「堅苦しい授業」という指摘があった(実際に僕の授業を受けたり、見学したことのない人からであるが)。
実際の授業は「好きな物を自由に描く」というカリキュラムではない。そういった点が「堅苦しく」感じるのかもしれない。
毎回最初に行うクロッキーでは、人体の構造を観察し理解して、良い構図で素早い線でスケッチすることを目的としている。必要とあれば、人体の骨格図のコピーを生徒に配ることもある。
これを4月から3月まで毎週の授業で行うので1年間でおよそ30枚ぐらいを制作することになる。また、持ち回りで生徒がモデルを務めるので、人間の身体の姿勢や、見られることに対する意識を持つことにもなる。
長期にわたるカリキュラムは大まかに分けて2つ。1年かけて2枚の作品を制作することが目標である。
前期の授業では鉛筆デッサンを制作し、後期の授業では鉛筆デッサンをもとに油絵を制作する。
油絵のセットの絵の具の色は特別にセットしてもらっており、大体ルネッサンスの時代に存在した色になっている。絵の具の顔料は産業革命以降、劇的に増える。技術革新によって、それまで絵の具に出来なかった鉱物を顔料化することに成功したり、化学合成してそれまでになかった色彩を持った顔料が発明されたりもした。絵の具のチューブが製品化されるのもこの頃である。
古典技法を利用して描こうとすると、不自由なことも多い。鮮やかな黄色や真っ赤な色がないのである。しかし、色彩は相対的なものなので画面のなかでの組み合わせで、黄色や赤を表現することも可能になる。
僕が授業で重視しているのはプレゼンテーション能力だ。プレゼンテーションとは、提示、提出、発表、説明などと訳される言葉である。大事なのは制作する前に各個人がどういった作品にしたいかをまず思い描き、その目標に向かって行くにはどういった方法があるかを考えることである。当然、それぞれに得手不得手もあるし、完全に完成した状態をイメージできるわけではない。そのため生徒の相談を受けながら、それぞれにあったアドバイスをしていくことになる。
頭の中でイメージしたことを画面に定着していくのは、とても難しいことであるし、なかなか上手くいくものでもない。思い入れたっぷりにイメージを言葉で伝えられても、それが画面に表現されていなければ評価することはできない。
どうすればイメージを具現化することができるかを、生徒それぞれの技術や思考と相談しながら解決策を練っていくのである。
どんどん自分から進めていく生徒は、自分のペースで描いていけばいい。
絵画はひとたび展示されると、いろいろな人の眼に触れることになる。全ての人に作者の思考やイメージが伝わるわけではないが、伝える努力は最大限すべきであろう。僕と生徒だけが理解し共有しているだけでは、何も人に伝えることは出来ない。そこで、客観的な視点で自分の画面を見つめ、判断する必要もある。そういったことも授業の中で定期的に話している。
自分の中にしかないイメージや思考を、どうすれば人に伝えることができるのか。美術の授業を通して、考え知ってもらうことがとても大切なのだと思う。
僕は生徒たちに画家やイラストレーターなどになってもらうように授業をしているわけではない。
美術の授業を通して経験したことを、他の学科や将来の仕事、生活に活かしていって欲しいと思っている。


投稿者 corvo : 2005年10月15日 11:42